• FTとFNの合併

    シティの金融紙としてライバル関係にあったFinancial Times(FT)とFinancial News(FN)は、1945年合併します。なぜ合併に至ったかについては、当事者の記録、証言がなく、真相は闇の中ですが、動いたのはFT側で、背景にはオーナーの健康不安説、オーナーファミリーの新聞事業をDaily Telegraphに専念したかったという説、労働党政権下でのシティの金融ジャーナリズムの行方に悲観的になったオーナーが、シティの金融紙の将来のために合併により先手を打ったという説など、諸説が残されています。

     

    この合併は形の上では、FNがFTを買収するという形を取りました。また、会長、社長、主筆といった経営陣もFN出身者で占められました。発行部数、金融業界への影響力を考慮に入れ、名称はFinancial Timesとすることが決められましたが、FNの伝統はその後もFN出身者を通じてFTの中に生かされてゆくことになります。

     

    こうして1945年10月1日、新生のFinancial Timesが誕生します。Financial Newsは廃刊とはなりましたが、名を捨てて実を取ったということができるでしょう。

  • 世界の銀行、イギリスのシティが生んだFT

    タイムズが創刊された時、イギリスでは産業革命がすでに始まり、イギリスは世界に先駆けて工業国としての道を歩み始めていた。十九世紀になると世界の工場と呼ばれるようになる。だが、後の時代から振り返ると、この時代はまだ牧歌的だった。企業といっても個人経営が中心の小規模のものであり、また工業化が始まった国はイギリス以外にはなかった。ところが、一世紀後の十九世紀後半になると、企業の規模が拡大し、市場で株式を発行して資金調達する株式会社が多数設立され、また欧米列強の植民地獲得に伴い、鉄道や鉱山を始めとする対外投資が拡大すると、商品の価格や株式など有価証券の動きを迅速に入手するニーズが高まるようになる。銀行に代表される金融の時代がいよいよ始まったのだ。

     

    産業革命はマンチェスター、リヴァプールなどイギリス中部の都市を母体とする。これらの都市が「世界の工場」イギリスを支えたのだ。これに対して、金融の役割が大きくなると、俄然世界の注目を集めたのがロンドンのシティーだ。シティーこそ、「世界の銀行」イギリスの母体である。そして、商品の価格や株式の動きなどの金融情報を最も必要としていたのは、シティーに他ならない。

     

    フィナンシャル・タイムズ(FT)は以上のようなシティーのニーズを受けて、創刊された経済紙である。フィナンシャル・タイムズ以前にも、金融情報の専門紙は存在した。十九世紀に創刊された経済日刊紙の中で、その後世界的に多くの読者を獲得し、現在に至るまで発行されているのは、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルとイギリスのフィナンシャル・タイムズの二紙である。