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メディアと子供への影響というテーマはメディアを論じる中で好んで取り上げられるテーマです。メディアの暴力表現が子供に悪影響を与えると考える人もいれば、それは実証されていないと論じる人もいます。これは主としてテレビ等の映像表現についてですが、メディアと子供への影響という問題はテレビ以前にさかのぼります。子供向けメディアの登場ともに始まったと言ってよいでしょう。
19世紀に出版が大衆化すると、大衆向けの読み物が数多く提供されました。その中にはターゲットを子供に絞った読み物もありました。19世紀イギリスが生んだ子供向けの読み物としては、「ペニー・ドレッドフル」(penny dreadful)を忘れることができません。恐怖を売り物にする安価な読み物という意味で、三文恐怖小説などと訳されます。脱獄の名人、追剥、泥棒軍団の親玉といった実在の犯罪者を主人公に据え、大いに売れたと言われています。ところがそのセンセーショナルな内容が批判を浴び、もっと健全な子供向け読み物の出版を促しもしました。
ペニー・ドレッドフルをのぞくことで、19世紀の子どもが欲したものを探り当てるだけでなく、メディアと子供への影響という古くて新しいテーマを解く鍵を得ることができるでしょう。19世紀史料集成(NCCO)第3部:英国の演劇・音楽・文学には、ペニー・ドレッドフルのコレクションとして有名な ”Barry Ono Collection of Bloods and Penny Dreadfuls”(大英図書館所蔵)が収録されています。
イギリスは多くの劇作家を世に送り出してきた国です。イギリス演劇の黄金時代の立役者シェイクスピア。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原作を書いたバーナード・ショー。その他、各時代に個性ある劇作家が活躍しました。
ところで、18世紀中ごろから19世紀中ごろにかけての時代は、劇作家が苦難を強いられた時代です。発端は1737年に演劇検閲法が議会を通過したことです。演劇が政治の介入を許し、多くの劇場は閉鎖に追い込まれ、劇作家としての道を断たれ小説家に転向した作家もいました。劇作家にとっての冬の時代の到来です。
しかし、別の見方もできます。音楽が作曲家や楽曲だけで成り立つのではなく、演奏会や聴衆も音楽を支えているのと同様に、演劇も劇作家や戯曲だけで成り立つのではなく、俳優などの舞台関係者、観客や批評家も演劇を支える重要な担い手です。そして、舞台や俳優、観客や批評家に眼を向ければ、冬の時代と見えたこの時代の演劇が実は活気を帯びていた状況が見えてきます。新作演劇にとっての冬の時代にあって、斬新な演出でシェイクスピア劇に新風を吹き込んだりしながら、人々は演劇の火を灯しつづけました。19世紀史料集成(NCCO)第3部:英国の演劇・音楽・文学には、リチャード・シェリダンが君臨した時代のドルリー・レーン劇場に関する貴重な資料が多数収録されています。
民衆から慕われた皇太子妃と言えば、ダイアナを思い出す人が多いでしょう。王宮での慣れない生活からくる心労に夫君チャールズの不倫が追い打ちをかけ、ついに離婚に追い込まれた皇太子妃。その悲劇的な死は世界中に衝撃を与えました。葬列の沿道は多くの人々が埋め尽くし皇太子妃を見送りましたが、その中には黒人などのイギリスにおけるマイノリティやホームレス、シングルマザーなどの社会的弱者も多数集まり、弱者に優しい眼差しを注いだダイアナの死を悼んだと言われています。
ところで、19世紀のはじめのイギリスにも、同じように身内から虐げられ、民衆がその死を嘆き悲しんだ皇太子妃がいました。ドイツの公国からイギリス王室に嫁いできたキャロラインです。夫はジョージ、浪費と放蕩で知られる皇太子です。従兄妹の間柄だった二人ですが、結婚当初からそりが合わなかったらしく、関係は冷え切ります。離婚するために裁判に持ち込んだ皇太子は、キャロラインが侍従と密通したとのあらぬ嫌疑までかけます。この裁判は新聞を通じて大きな話題になり、キャロラインに国民の同情が集まりました。世論の後押しもあり、裁判は皇太子妃の勝利に終わります。しかし、皇太子が国王(ジョージ4世)として即位してまもなく、キャロラインは謎の死を遂げます。毒殺の疑いすら残っています。
キャロラインの死は下層階級を含む多くの人々が嘆き悲しみました。葬列を見送る民衆が警察と衝突し、死傷者が出ました。時あたかも、イギリス中で労働運動や民衆運動が活発に繰り広げられていた頃です。キャロラインの裁判と葬列は、王室スキャンダルを超えて、当時の労働運動や民衆運動の一コマの様相を帯びるに至ったのです。19世紀史料集成(NCCO)第1部:英国の政治と社会には、キャロライン事件によって触発された民衆運動をはじめとする、19世紀の労働運動、民衆運動に関する当事者の資料を多数収録しています。
明治時代を好む日本人は多いでしょう。貧しい極東の小さな国が近代化の道を歩み始め、力を蓄えて清やロシアを破って欧米諸国と並ぶ一等国にまでのし上がるという物語には魅力があります。司馬遼太郎の『坂の上の雲』が根強い人気を保っているのも、ひたむきに前に進む明治人を描いているからでしょう。
ところで、私たちが明治の日本を描くとき、その絵の中に登場する外国は、アジアを除けばヨーロッパの国々です。日英同盟の相手国イギリス、法律や軍事等の制度を取り入れたドイツやフランス。そこにアメリカの影はほとんどありません。ペリーの黒船による開国、万延元年の遣米使節など幕末にとっては大きな存在だったアメリカが、明治時代になると影が薄くなります。そして、明治末期に突如、日露戦争の講和会議の斡旋役として姿を現します。しかし、幕末以来アメリカは日本に領事館を置き、外交関係を維持していましたし、日本との通商を活発に行なっていました。アメリカに留学した日本人も多くいました。『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山真之はアメリカに留学しています。
明治時代にも日米関係は存在していました。そこに光が当てられてこなかっただけに過ぎません。19世紀史料集成(NCCO)第2部:アジアと西洋世界に収録された在日アメリカ領事館の領事報告によって、明治日本におけるアメリカの影がくっきりと浮かび上がってくるでしょう。
いつの時代も国際的な経済活動で競争に勝つには外国の情報が欠かせません。メディアが発達した現代は、商品の値動き、株価や為替の変動などの情報は、インターネットや電波を通じて世界中を駆け巡ります。また、外国に支社を置く企業はメディアの網からこぼれた現地の情報の収集に余念がありません。
しかし、ラジオもテレビもインターネットもない19世紀、外国の経済情報の収集は容易ではありませんでした。確かに現代と同じように、新聞の果たした役割は大きかったと言えますが、外国特派員の数は少なく、収集には限界がありました。また、多国籍企業と言えるものは一部の例外を除けば、存在しません。
このような状況の中で、外国の経済情報の収集に大きな役割を果たしたのが外交官です。19世紀になると欧米諸国がアジア諸国に領事館を置きます。そこに駐在する領事には様々な任務が課されていましたが、その中の一つが本国への情報提供です。提供する情報には現地の様々な情報が含まれていましたが、中でも経済情報が重要なものと見なされていました。19世紀は外交官が経済情報の収集に大きな役割を果たした時代だったのです。19世紀史料集成(NCCO)第2部:アジアと西洋世界は、日本、中国をはじめ東アジア各地に駐在したアメリカの領事が本国に送った領事報告を多数搭載しています。
瓦版と言えば、江戸時代の一枚刷りの新聞です。売り手が客の興味を引くように内容を読み上げ、集まってきた客に売りさばく。時代劇で良く見かけるシーンです。
イギリスにも瓦版のような一枚刷りの新聞がありました。ブロードサイド(Broadside)と言います。大判の紙の片面に刷ったことから名づけられたようです。ブロードサイドの歴史は古く、新聞の先祖とも言われています。そして、片面刷りのニュースが節回しをもって唄われた場合、ブロードサイド・バラッドと呼びます。街中に響くブロードサイド・バラッドの歌声は、文字を読めない民衆にとって、世の中の出来事を知るための欠かせない媒体だったでしょう。時代が下るにつれ、ブロードサイド・バラッドは廃れてゆきますが、19世紀イギリスで復活します。ニュース性のあるものなら取り上げたブロードサイド・バラッドのテーマの中でも、人気があったのは犯罪物だったと言われています。イギリスでは19世紀半ば頃まで公開処刑が実施されていましたが、受刑者の言葉が死刑執行を間近に控えた最後の告白といった触れ込みでブロードサイド・バラッドに刷られ、公開処刑場で呼び売りされていたのです。
タイムズだけが19世紀イギリスのジャーナリズムではありません。ブロードサイド・バラッドは民衆のためのジャーナリズムとして情報を発信していました。19世紀史料集成(NCCO)第3部:英国の演劇・音楽・文学にはブロードサイド・バラッドのコレクションとして有名な ”Sabine Baring-Gould and Thomas Crampton Collections” が収録されています。
19世紀ヨーロッパの音楽と言えば何をイメージするでしょうか。ベートーヴェンの交響曲、シューベルトの歌曲、ショパンのピアノ曲、ヴェルディやヴァーグナーのオペラ・・・・・。王侯貴族のための音楽の時代は過ぎ去り、市民の時代の到来の下で聴衆が増え、音楽自体も形式から自由になり、人間の感情を重んじるロマン派の全盛時代を迎えます。
ところで、19世紀に活躍した作曲家の出身国はドイツ、オーストリア、イタリア、フランスなどの大陸諸国が中心で、イギリスからは著名な作曲家が出ていません。作曲家に限れば19世紀のイギリスの影はとても薄いと言えます。ただし音楽は作曲家だけが支えるものではありません。演奏家、聴衆、音楽ビジネスや音楽ジャーナリズムの担い手も音楽を支えています。作曲家とその楽曲から音楽の市場に眼を転じれば、多くの曲を委嘱し、また演奏会が盛んだった19世紀のイギリスは、もはや王侯貴族というパトロンに頼ることができない作曲家にとってたいへん魅力的な国でした。その証拠に、多くの作曲家がイギリスを訪問しています。
19世紀イギリスの音楽事情は、音楽がビジネスになった時代に関する豊富な情報を提供してくれます。19世紀の音楽都市と言えば、まずウィーン、パリ、ミラノが挙げられるでしょうが、音楽ビジネスという点ではロンドンを忘れることはできません。19世紀史料集成(NCCO)第3部:英国の演劇・音楽・文学には、ロンドンの音楽ビジネス事情を知る貴重な資料が収録されています。
国民作家という言葉があります。時間の篩にかけられ、国民から最も多く読まれている、その国を代表する優れた作家という意味です。日本の夏目漱石や司馬遼太郎、イギリスのシェイクスピア、ドイツのゲーテ、イタリアのダンテ、スペインのセルバンテス・・・。
ところで、時間の篩にかけられて長く読みつがれてきたのは、時間の篩にかける仕組みがあったからでもあります。日本人は中学生、高校生の時、夏目漱石や森鴎外を教科書で読みますが、それを特に不思議なことだとは考えていません。しかし、漱石や鴎外が教科書に載るのは、多くの作家の中から彼らを選んでいる人がいるわけです。教科書に載せるべきかどうかについては、何らかの基準があるはずです。でも、それはとても見えにくいものです。最近、この基準についてもっと深く考えようという動きがあります。教科書に載るような作家のことを文学カノンと呼びます。カノン(canon)とは規範、基準を意味します。宗教の世界では真正な教典のことを指します。文学における規範となる作品を見直そうという動きです。
19世紀史料集成(NCCO)第4部:コルヴァイ城所蔵ヨーロッパ文学コレクションは、文学史の中でロマン派の時代を扱っています。イギリスのロマン派については、六大詩人と言われる詩人がいます。ブレイク、ワーズワース、コールリッジ、バイロン、シェリー、キーツの六人で、これまでよく読まれ、多くの研究が積み重ねられてきました。しかし、この時代には他にも沢山の忘れられた作家がいます。六大詩人は全員男性です。では、この時代の女性の詩人はどんな作品を残したのでしょうか。また、労働者などの下層階級の作家はどうだったのでしょうか。文学のカノンが見直される中で、コルヴァイ城コレクションは、このような疑問を解く鍵を与えてくれるでしょう。
昔の労働者の生活を調べるとしましょう。何に当たれば良いでしょうか。労働者の生活を描いているものとしては、同時代のジャーナリストらのルポルタージュがあります。労働者が発行した新聞や労働者が購読した新聞も重要な情報源です。また、政府が行なった貧困調査も役に立つでしょう。労働者が組合を作って活動をするようになると、その中で多くの記録を残すようになります。組合活動の記録も忘れてはなりません。組合活動や労働運動を取り締まる政府の資料は、取り締まる側の視点から見た労働者の生活を浮かび上がらせてくれます。労働者の生活を描いた小説も、フィクションながら実情を知るには欠かせないでしょう。文字資料だけではありません。絵画や写真も忘れてはなりません。
では、労働者の自伝はどうでしょう。自伝と言えば、政治家、外交官、経営者、作家、芸術家ら、著名人の自伝が普通はイメージされます。自伝と労働者はあまり結びつきません。しかし、19世紀イギリスには多くの労働者が自伝を残しているのです。さすが、『国民伝記事典』(Dictionary of National Biography)を残した伝記の国だけのことはあります。イギリスには、労働者だけの伝記を集めた『労働者伝記辞典』(Dictionary of Labour Biography)というのもあります。どうして、19世紀のイギリスで多くの労働者が伝記を残すようになったのかについては、いろいろな理由が指摘されています。まず、読み書き能力が上昇したこと。また、労働運動が活発になり、事実を後世に残す必要に迫られたこと。さらに、ジャーナリストらが労働者の生活を描くようになる中で、外からの眼でなく、労働者自身が自分の眼で見た記録を残したいとの思いが高まったことなど、様々な理由が指摘されていますが、どれも決定打とは言えないようです。
勿論、自伝を残した労働者は労働者の中でも、知識があり、読むだけでなく書く能力が備わっていたごく一部の人々に過ぎません。自伝で描かれたことを他の労働者の生活にどこまで当てはめることができるのか、という疑問がいつも付きまといます。それでも、労働者の自伝の価値は失われません。19世紀史料集成(NCCO)第1部:英国の政治と社会に収録された約180篇の労働者の自伝は、彼らが何を考え、何に喜び、嘆き悲しんだか、また自分をどう見られたがっていたのか、を明らかにしてくれるでしょう。
今も昔もセレブと言われる人々には、世間の好奇の眼差しが注がれます。昔、イギリスにメアリー・ロビンソン(Mary Robinson, 1757-1800)という女優がいました。地方都市の商人に生まれたメアリーは、ロンドンに上京、その美貌と演技力でドルリー・レーン王立劇場の花形女優になります。当時の劇場は観劇の場でもあり、名士が訪れる社交の場でもありました。ある日、若き皇太子が観劇に訪れ、メアリーを見初めます。メアリーは、花形女優でありながら皇太子の愛人となりました。メアリーと皇太子の関係は公然の秘密だったようで、当時の新聞にゴシップ記事として取り上げられています。人々はメアリーをパーディタと呼びました。皇太子が見初めた時に、メアリーが演じていたシェイクスピア『冬物語』のヒロインの名前です。移り気な皇太子は、すぐにメアリーに飽きたらしく、関係は破綻しますが、したたかなメアリーは愛人になる時に結んだ契約を理由に、皇太子から慰謝料を勝ち取ります。
ところで、メアリーは女優としてだけでなく、詩人としても知られていて、多くの詩が残されています。世代で言えば、ウィリアム・ブレイクと同世代、ワーズワース、コールリッジ、バイロン、シェリー、キーツより一回りか二回り年上です。ところがメアリーの詩は、その死後これら男性詩人の影に隠れ、忘れられてゆきます。ところが、死後200年ぐらい経ち、20世紀の終わりごろになって、詩人メアリーが突然復活し始めます。忘れられた詩人を掘り起こそうという動きが出てきた結果、メアリーらの女性作家が忘却の淵から救われたのです。こうして今では、メアリー・ロビンソンはイギリスロマン派時代を代表する女性詩人として作品集や伝記が刊行されるようになりました。
NCCOの19世紀史料集成(NCCO)第3部:英国の演劇・音楽・文学には女優としてのメアリーを伝える資料が含まれ、19世紀史料集成(NCCO)第4部:コルヴァイ城所蔵ヨーロッパ文学コレクションにはメアリーの作品が多数収録されています。さらに、19世紀史料集成(NCCO)第1部:英国の政治と社会に政治家フォックスの文書が収録されていますが、フォックスとメアリーは一時期、愛人関係にありました。メアリー・ロビンソンはNCCOの3つのアーカイブに関わる稀有な人物です。