ケネディ政権の外交政策 1958-1964年
ケネディ政権の外交政策 1958-1964年
JFK and Foreign Affairs, 1961-1963
本コレクションは、ケネディ大統領図書館所蔵資料より、ケネディ政権の外交・安全保障政策に関する文書を収録します。ベルリンの壁建設、ピッグス湾事件、キューバ危機などの重大事件はもちろん、発展途上国への援助、国際貿易と貿易収支、進歩のための同盟と対ラテンアメリカ関係、核開発・核実験、NATOと多角的核戦力、東南アジアと地域安全保障、宇宙開発競争など、ケネディ政権の外交政策に関する文書が豊富に含まれています。
43歳で大統領に就任したJ・F・ケネディは国民の期待を担い、「ベスト・アンド・ブライテスト」と呼ばれる優秀な人材を登用し、新しい政策メニューを矢継ぎ早に打ち出しました。外交政策では、途上国支援策の一環として平和部隊を創設する一方で、カストロ政権に続く社会主義政権の登場を阻止すべく、中南米諸国向けに「進歩のための同盟」構想を打ち出しました。安全保障政策では、あらゆる種類の戦争に対処すべく、多角的オプション戦略を採用する一方で、対ゲリラ特殊部隊としてグリーン・ベレーを創設しました。
ケネディ政権の外交政策は1962年10月に最大の試練を迎えます。カストロ政権をアメリカから防衛すべく、ソ連のフルシチョフがキューバへミサイルを持ち込み、ミサイル基地を建設する行動に出ました。キューバ・ミサイル危機です。アメリカが海上封鎖を実施するにおよび、米ソの軍事衝突の危険に世界は震撼させられました。結局、ソ連がミサイルをキューバから撤去することを条件にアメリカはキューバに侵攻しないとの合意が交わされ、軍事衝突は回避され、米ソは共存の道を探るようになります。
その他、ケネディ政権時にはベトナムへの本格的な介入が始まりました。アメリカが支援する南ベトナム政府の要請を受け、支援部隊を派遣、在ベトナムの米軍は増員される一方で、弱体化する南ベトナム政府を梃入れすべく、調査団を派遣するなど、軍事と政治両面にわたり、ベトナムへの介入を深めた負の遺産はジョンソン政権に引き継がれることになります。
(マイクロ版タイトル:JFK and Foreign Affairs, 1961-1963)
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