ホーム > ユーザーインタビュー > 池田嘉郎
ホーム > ユーザーインタビュー > 池田嘉郎
東京大学大学院人文社会系研究科(西洋史学)准教授
実施日:2017年9月12日
機関:東京大学
協力:紀伊國屋書店
トピック: Archives Unbound
今日は、東京大学人文社会研究科の池田嘉郎先生に、Galeの Archives Unbound プラットフォームに搭載されているコレクション「ロシア革命と第一次大戦関係の英外務省文書集 1914-1918年」に関するお話をお聞きするために、研究室にお伺いしました。この電子コレクションはこの度、東京大学様に導入される運びとなりましたが、購入申請をして下さったのが池田先生です。今日はいろいろ興味深いお話をお聞かせいただけるものと、楽しみにしています。本題に入る前に、先生のこれまでの研究の履歴と現在の研究テーマをご紹介いただけますか。
専門は近現代ロシア史です。学部の卒論以来、ロシア革命とその前後の時期に興味を持ってきました。最近は、第一次大戦からロシア革命を経て革命後の時代に関して、論文や本を書いています。史料は通常、モスクワの文書館や図書館で閲覧することが多く、この史料のようなイギリスの公文書館が所蔵する史料を使うことができて、大変有難く思っています。
今年はロシア革命100周年に当たります。池田先生も『ロシア革命 破局の8か月』(岩波新書)を上梓されました。いろいろな記念行事、出版やシンポジウムが盛んに開かれているのではないかと想像しますが、いかがでしょうか。
研究会やシンポジウムは10月前後にいくつかありますし、出版関係では岩波新書の私の本の他に、同じ岩波書店から私たちが編集委員として関わった『ロシア革命とソ連の世』(5巻)[編集委員:松戸清裕・浅岡善治・池田嘉郎・宇山智彦・中嶋毅・松井康浩]という論文集も刊行されました。それ以外にも、東京大学の沼野充義先生ら、文学研究者による関連の出版企画もあるようですし、私の先生である和田春樹先生もまもなく本を刊行予定であると聞いています。研究会やシンポジウムでも、いろいろな議論が出されています。日本やロシアはもちろん、他の国々でもそうです。100周年の今年、どのくらいロシア革命が注目されるか、最初はよく分かりませんでしたが、結果的には100周年に相応しい注目のされ方がなされているのではないかと思っています。
今日の本題である「ロシア革命と第一次大戦関係の英外務省文書集 1914-1918年」ですが、先生は『ロシア革命』の中で「第一次大戦がなければ、ロシアの運命は全く変わっていたものになっていただろう。」とおっしゃっています。どのような経緯で、このコレクションに関心をお持ちになったのですか。
直接のきっかけは、紀伊國屋書店の油木さんから、こういうコレクションがあります、とご紹介いただいたことです。カタログを見た瞬間、面白いと思いました。
非常に簡単なカタログで、説明も3行程度しかありませんが、それでも食指を動かすに充分でしたか。
タイトルだけで飛びつきました。イギリス公文書館の史料ですし、内容も間違いないだろうと、勘が働きました。購入できるものなら、是非購入したいと思いましたが、図書予算について詳しくなく、どうやって購入したらよいか途方に暮れていると、油木さんから、大型コレクションという制度を使って購入申請できることを教えていただきました。よく調べてみると、この史料のマイクロフィルム版を使って研究発表している人が数人いることも分かり、貴重な史料であることがいよいよ明らかになりましたので、是非使ってみたいと思っていましたが、幸いなことに申請が採択され、大変嬉しく思っています。
すでにマイクロフィルム版でこの史料をお使いになっている研究者がいらっしゃるわけですか。
います。今回採択された電子版は、マイクロフィルム版に比べ、使い勝手が非常に優れています。電子版が導入され、多くの大学院生や同僚が使えるようになったのは、良かったと思います。
政府の情報から野党の情報まで、ロシアの国内政治の情報が全部ロンドンに伝わってゆく様子がこの史料からよく分かります
この史料はイギリス外務省のロシア関係文書ですが、史料の内容を理解するための背景として、この時代のロシアとイギリスの関係について、ご教示いただけますか。
この史料は、今から100年前にロシアに駐在するイギリスの外交官がロシアの国内情勢をイギリスの外務省に報告した文書で構成されています。1914年から1918年まで第一次世界大戦の期間をカバーしています。第一次世界大戦でイギリスとロシアは同じ連合国の陣営にいたわけですが、イギリスの外交官は同盟国ロシアの国内情勢を熱心に情報収集します。単に情報収集するだけでなく、ロシアの国内政治にも影響を与えようと試みます。イギリスは議会制民主主義の国であるのに対して、ロシアは自由が制限された専制の国です。同盟国ですからイギリスは専制ロシアの政府と太いパイプを持っています。その一方で、専制国家ロシアと同盟することに対して、イギリス国内では批判的な世論もあり、イギリス政府はロシアの野党勢力とも密接にコンタクトを取っていました。ロシアの野党勢力は、専制国家ではなくイギリス流立憲君主制を志向しているため、イギリスとの交流の歴史は長い。大戦中も議員団を派遣し、野党の存在をイギリス側にアピールしているくらいです。そのような野党の情報もイギリスの外交官は収集しています。政府の情報から野党の情報まで、ロシアの国内政治の情報が全部ロンドンに伝わってゆく様子がこの史料からよく分かります。第一次大戦勃発の頃からイギリスとロシアは密接な関係を維持していましたし、1917年2月にロシアで革命が勃発し(2月革命)、帝政が崩壊し、野党指導者が中心になって臨時政府を作ると、イギリスとしても、これまで内密にコンタクトを取っていた政治家が晴れて政権についたわけですから、公然と付き合うようになります。第一次大戦から革命期にかけてのロシアの政治は国際化しています。国際化するロシア政治という状況はこの史料にも色濃く反映しています。この史料はイギリスの史料ですが、ロシアの史料でもあり、イギリスとロシアの関係史に関する第一級の史料でもある、と言うことができます。
ロシアの政府側の動向だけでなく、野党側の動向まで見えてくるところが面白いですね。この史料の中にはいろいろな人物が登場します。この史料をイギリスとロシアの外交を舞台とするドラマと見立てれば、そこでは主役級から準主役級、脇役まで、様々な人物が演じていると思います。先生がご覧になって、この外交という舞台で主役を張っているのは誰ですか。
それは何と言っても、ジョージ・ブキャナン(George William Buchanan)です。ブキャナンは第一次大戦からロシア革命期にかけてペテルブルグ(ペトログラード)に駐在したイギリスの大使です。ブキャナンは政府側とも野党側とも接触し、こういう話を聞いたとか、こちらからこういうことを話した、ということを逐一ロンドンに報告しています。ロンドンでは、外務大臣のバルフォア(Arthur James Balfour)などイギリス外務省の首脳たちが、それを読み情報を共有する。ブキャナンは後に回想録も書きますので、この史料と回想録を付き合わせれば、面白いことが見えてくるのではないかと思っています。回想録は後で振り返って書くものですから、後の時代の見方が入ってしまう傾向がありますが、この史料は同時代の史料ですから、臨場感があります。とにかく、ブキャナンは毎日のように、いろいろな人々と会っています。ブキャナンはこれまでもロシア革命関係の書物には登場しましたが、外務省内部の史料がまとめて読みやすくなったのは、これまで語られてきたブキャナンとは異なる、新しいブキャナン像を提示できる可能性を秘めているのではないかと思っています。
人脈の広さと情報の密度ということで言えば、ブキャナンは突出しています
後で書かれたため正確でない面もあるかも知れない回想録よりも、同時代の史料として正確であり、信頼が置けるということでしょうか。
回想録と同時代の史料のどちらが正確で、どちらが不正確か、ということでは必ずしもありません。今回のこの史料も、ブキャナンが見聞したことですから、当然ながらある種の一面性は避けられません。その点は注意しなければなりませんが、それでも人脈の広さと情報の密度ということで言えば、ブキャナンは突出しています。
ブキャナンの他にも、フランスやアメリカなど各国の外交官も同じような活動をしていたわけですね。
もちろんそうです。彼らは、情報共有している部分もあれば、隠している部分もあります。皆、後に回想録を書いていますから、それらを照合すれば、ロシア革命において連合国の外交官がどのような接点を持っていて、どのような駆け引きがあったのか、歴史的に再構成することができるでしょう。
最初拾い読みしていたのですが、余りに面白いから拾い読みではなく、悉皆的に読まなければならないと気付き、一ファイル毎に丁寧に読むことにしました
そうすると、先生から見て、このコレクションの最大の魅力はブキャナンの収集した情報の面白さにある、ということですね。
そこが一番面白いところです。まだ全部を読んだわけではありません。最初拾い読みしていたのですが、余りに面白いから拾い読みではなく、悉皆的に読まなければならないと気付き、一ファイル毎に丁寧に読むことにしました。2月革命の後、ブキャナンは臨時政府の外務大臣ミリュコーフとほとんど毎日のように会っています。後に首相になるケレンスキーとも会っています。ミリュコーフがこういうことを言った、それに対して、イギリスはこう考えているから、こうした方がいいのではないか、とブキャナンは助言し、ある種の圧力もかけています。そのようなやり取りが毎日のように記録されています。何と言っても、2月革命のころ、特に3月2日前後は時々刻々と状況が変わるので、これだけの頻度で報告されているブキャナンの情勢報告を読むことは、革命の展開を追う上でも有難いです。逆に言えば、イギリスがいかに熱心に2月革命の過程に関与していたのか、ということを示しているとも言えます。
ブキャナンの報告は、野党側が臨時政府の形成に向けて積極的に動いていたことを示す一つの重要な傍証を提供するものです
ミリュコーフ、ケレンスキーは臨時政府を代表する政治家ですね。
そうです。革命期は混乱していますから、史料が綺麗に残っているわけではありません。断片的な回想録や議事録を照合しながら、3月2日のこの段階でこういう決定が下されたらしい、と歴史家はある部分までは推測します。今回の史料はそれらの回想録や議事録を補うものです。2月革命では重要な出来事とされているのですが、2月27日の午前中にある重要な決定が下されました。その決定の内容については、当事者でも言っていることが異なり、分からない部分も多く、これまで幾つかの仮説が出されました。この日、ペテルブルグでデモが起こりました。皇帝はデモを抑えるため、野党が中心の国会(ドゥ-マ)の解散命令を出します。それに対して、野党は解散しないと決議しました。その決定が、様子見的な決定だったのか、それとも、自分たちの政府を作ることまで見越した上での決定だったのか、人によって言っていることが違います。今だによく分かりません。ところが、今回の史料を見ると、ブキャナンがミリュコーフから聞いた話として、野党は闘い抜いて臨時政府を自分たちで作ることを決めたと、本国に報告しているのです。決定的な証拠とまでは言えませんが、ブキャナンの報告は、野党側が臨時政府の形成に向けて積極的に動いていたことを示す一つの重要な傍証を提供するものです。
歴史研究者が驚くような文書が幾つか含まれている史料です
研究者には知られていなかった事実ということですか。
この部分は研究論文でも使われていないのではないかと思います。ロシア国内の史料に偏りがちなロシア史の研究者がイギリスの史料まできちんとフォローできているかと言うと、難しい面があります。ロシアの研究者にこの史料の存在を教えたら、きっと喜んでくれるでしょう。ロシアの研究者はモスクワとサンクトペテルブルグのアーカイブ史料が大量にあるので、それを使います。イギリス人が何を言っていたかということには、あまり興味を持ちません。2月革命を専門にやっている知人のロシア人には教えてやろうと思っています。他にも、歴史研究者が驚くような文書が幾つか含まれている史料です。
そこまで新しい事実が含まれているのであれば、論文に書いて発表していただきたいと思います。
書きます。どんどん書こうと思っています。
まさに、イギリス畏るべし、です
ブキャナンの情報収集能力がずば抜けていたということですが、ブキャナンに限らず、イギリスの外交官の情報収集能力が傑出しているということではないかという気がします。イギリスは、ロシアに限らず、世界中に外交官を派遣していたわけですから、それが本省に送られて、アーカイブとして残っている。他の国に関しても、ブキャナンと同じような優れた外交官による情勢報告をその国の歴史を研究する研究者が読めば新しい発見が得られるかも知れません。イギリスの外交文書をこれまで論文でお使いになったことはありますか。
ありません。今回初めて使ってみて、まさに、イギリス畏るべし、と思いました。たいした国です。
イギリスの外交官は駐在国の政治への関与の度合いが違います
2月革命の特定のエピソードに関する例を出していただきましたが、今回イギリス外交文書をお使いになって、歴史史料としてのイギリス外交文書が「使える」というのは、どのような点ですか。
同僚の研究者や諸先輩方がイギリス外務省の史料を調べに行っているのは知っていました。国際連盟などを研究されている東大の駒場の後藤春美先生らの先生方が論文でイギリス外務省の史料を引用しておられるので、面白い史料だとは思っていました。今回自分で使って分かったのは、単に外から見ている史料ではない、ということです。日本の外交官もモスクワやペテルブルグにいますから、ロシアの政治家と連絡を取り合っています。それはそれで面白いですが、イギリスの外交官は駐在国の政治への関与の度合いが違います。2月革命では、立憲君主制のままで終えるか共和国まで行くのか、いろいろな選択肢が生まれては消え、生まれては消えました。我々ロシア史研究者はどうしても、ロシア人だけで2月革命の帰趨が決められたと思い勝ちですが、ブキャナンもロシアの政治家へ助言をすることを通じて、2月革命の当事者になっているのです。ロシアでは共和政は時期尚早なので、立憲君主制が良いのでは、などと言っています。イギリスにとって更に重要なのは戦争の問題で、同盟国のロシアに戦争を継続して欲しいわけです。戦争継続に関しては2月革命後の臨時政府も同じ考えですが、労働者や兵士には厭戦気分が漂い、それを背景に戦争反対のソヴィエトの勢力が高まっていきます。こうして2月革命後にソヴィエトと臨時政府の対立が始まるわけですが、ここでのブキャナンの関与の度合いは、私が想定していたよりずっと高いものでした。
ロシアの国内政治を一国史的にではなく、国際的広がりの中で見るという視点を提供してくれるのが、イギリス外交文書の第一のメリットです
ブキャナンは、どの程度関与していたのですか。
臨時政府の外務大臣ミリュコーフと打ち合わせをして、ちゃんと戦争を継続すると臨時政府が言わなければ、イギリス政府はこれ以上臨時政府を支持しない、とほのめかしています。イギリスの外圧があった方がよいミリュコーフは、それを公式な声明として出してくれないか、などと、逆にブキャナンに頼んでいます。そうなれば、臨時政府としてはソヴィエトに対して戦争継続の必要性を訴える良い材料になるわけです。この辺りのやり取り、駆け引きを見ると、2月革命は最初から国際的な革命であり、第一次大戦の一環であることがよく分かります。帝政の戦争遂行は杜撰でした。イギリスとしては、戦争遂行に長けた政府がロシアに誕生する方が国益になる、そして帝政が崩壊し臨時政府が誕生するわけですが、臨時政府が誕生した以上はイギリスとしても応援したい。しかし、そのためには戦争遂行する態勢を整えてもらう必要がある。この当たりの経緯は、ロシア国内の問題というより、連合国全体の問題で、とりわけイギリスの問題である、ということがこの史料からとてもよく見えてきます。ロシアの国内政治の問題が国際的な広がりを持っていることは、おそらくロシアの史料だけを見ても見えてきませんが、イギリスの外交文書だからこそ見えてくると思います。ロシアの国内政治を一国史的にではなく、国際的広がりの中で見るという視点を提供してくれるのが、イギリス外交文書の第一のメリットです。
イギリスは世界中に植民地をもっていたために、特定の国の情勢報告が自動的に他の地域の情勢とも連動し、その結果、様々な地域の歴史を研究する研究者から関心を持たれるという構造になっています
なるほど。
もう一つは、この史料は単に英露の外交関係だけを扱っているというわけではない、ということです。たとえば、ポーランドの独立問題はロシア人だけで決めるのではなく、第一次大戦が終わってから国際会議で決めるわけです。ロシアで革命が起こったから、即独立というわけには行きませんから。イギリスはこういう態度でいきたい、ロシアはこうしたい、ドイツはこう出るだろうということをイギリスとロシアの間で情報交換しています。ロシア史研究者はどうしても一国史的にロシア革命を見てしまう傾向がありますが、何といっても第一次大戦の中で勃発した革命なので、最初から国際的な枠組みの中で革命が展開しています。イギリスは大英帝国なので世界中に植民地を持っています。そうすると、イギリスの外務大臣バルフォアの頭の中では、ロシアとアフガニスタンは別の話ではなく、ロシアもポーランドもアフガニスタンもインドも連動しています。実際にこの史料にはアフガニスタンのことも入っています。ですから、この史料はロシア史研究にとって面白いのはもちろん、イギリス帝国の外交を考える上でも凄く面白いと思います。今回、大型コレクションに申請するとき、駒場の後藤春美先生にもお手伝いいただきましたし、西洋史の同僚である勝田俊輔先生や中国史の先生にもお声掛けしました。いろいろな先生方に声をかけてみると、皆さん、これは面白そうだ、単にロシアの史料ではないということを理解して下さいました。ロシア史研究者だけでなく、国際関係論の研究者や院生も使えるような史料です。イギリスは世界中に植民地をもっていたために、特定の国の情勢報告が自動的に他の地域の情勢とも連動し、様々な地域の歴史を研究する研究者から関心を持たれるという構造になっています。これがイギリス外交文書の第二のメリットです。
イギリス外交文書は、イギリス国内政治を考える上でも重要な史料です
なるほど。
もう一つは、ロシア側の動向がロンドンに送られ、さらにイギリスの議会での動きがこの史料に反映されてくる、ということです。イギリスには議会があります。政府は議会や世論を想定して動きます。世論向きにここまで発表しようとか、議会でこの政党がこんなことを言っているから、この路線はやめておこうか、政府は議会や世論の動向を注視しながら動きます。イギリス外交文書は、イギリス国内政治を考える上でも重要な史料ということができます。
イギリス外交文書のもつ射程の広がりがよく分かるお話です。
補足ですが、この史料がマイクロ化されていない段階で、イギリスのアーカイブを使った研究で、第一次大戦の頃のイギリスとアメリカの関係を調べた英語の研究があります。民主的な外交政策を取るアメリカと帝国を維持したいイギリスが、第一次大戦前後にいろいろな地域で起こった革命や社会運動についてどの程度まで外交政策の歩調を合わせていたのか、調べた研究ですが、今回の史料を使っているのです。ロシア革命についても、イギリスやアメリカがどこまで支持していたのか、イギリスとアメリカの往復文書も使いながら丹念に調べています。ですから、この史料はロシア史の史料であるとともに、イギリス史の史料でもあるということです。
10月革命で政権を取るボリシェヴィキ中心に書かれてきたロシア革命史を相対化してくれるという意味で学術的意義のある史料です
逆に、この史料、あるいはイギリス外交文書を史料として使う際に、注意を払うべきことはありますか。
それはですね、イギリス外交官が付き合っている人々にはエリート層の人物が多いわけです。野党指導者と言っても、エリートです。ブキャナンの報告には、ソヴィエトの労働者や後に政権を取るボリシェヴィキとの直接の接触から得た情報は入っていません。間接的な情報は入ってきますが。2月革命の中心であったリ自由主義者たちの声が大半を占めているわけですから、その点で史料としてのバイアスは確かにあります。ミリュコーフの声が当時のロシアを代表すると思ってはならないわけです。ブキャナンが築いた人脈はミリュコーフら自由主義者が多いです。ただ、これまでのロシア革命史では、臨時政府を最初に作った自由主義者があまりポジティブに扱われてきませんでした。これまであまり丁寧に扱われてこなかった2月革命内部の過程に光を当ててくれるという意味では、10月革命で政権を取るレーニン率いるボリシェヴィキ中心に書かれてきたロシア革命史を相対化してくれるという意味で学術的意義のある史料です。でも、イギリス人のロシアに対する見方は特異ですね。ブキャナンは、ロシア人は民主主義をよく知らないから、立憲君主制が妥当で、共和国まで行かない方がよい、と言っています。ブキャナンがロシアのことを悪く言っても、我々はそれを額面通りに受け取る必要はありません。ブキャナンから見て労働者や兵士の行動は、乱暴に見えたかも知れませんが、他の人が見れば、彼らはこれまで苦しめられてきたわけですから、声を上げるのは当然と思うかも知れません。その辺りの評価は慎重に下さなければなりません。
ブキャナンの下にロックハートという人物がいませんでしたか。
います。ロックハートの史料も出てきます。
ブキャナンの報告は非常に生き生きとしています。とにかく読んでいて引き込まれます
革命直後に暗躍していた人物として知られているようですが。
暗躍と言っても、人に会うわけですよ。人に会って、情報を集めてくるわけです。2月革命のときにブキャナンが臨時政府に対してイギリス政府の立場を伝えながら、プレッシャーをかけていますが、それも暗躍と言って言えないことはありません。ロックハートもいろいろなところへ行って、人に会って、動向を聞いてきているわけですが、ブキャナンとロックハートはとても歩調が合っています。ロシア側の史料は、期待して見ている割には、ただの簡潔な報告だけというケースが結構ありますが、ブキャナンの報告は非常に生き生きとしています。ミリュコーフの発言を伝えている場合でも、単に発言内容だけでなく、ミリュコーフの態度まで含めて報告していますし、誰々と会ったが、会うまで大変だったという苦労話も出てきて、とにかく読んでいて引き込まれます。
ロシア・ソ連国内の社会主義系の史料を中心に読んできた立場からすると、イギリス外交文書は新鮮です
一次史料といえば世界各国に公文書館があります。先生はロシアにあるロシア語の公文書をお使いになると思いますが、イギリスの公文書館以外で気になっている文書館はありますか。
ロシア革命のときに多くのロシア人が祖国から亡命しましたが、亡命者が多くいた地域には興味深い史料があります。イギリスもそうですが、フランス、ユーゴスラヴィア、アメリカです。アメリカのフーバー研究所には亡命者の膨大な数の回想録が所蔵されています。ロシア側に残っている史料はどうしてもボリシェヴィキや社会主義者の史料が多い。それはそれで面白いですが、帝政期ロシアの国会議員や企業家などのエリート層に関する革命後の史料は十分には残っていません。残っているとしても、プラハ等にいた亡命者の史料を第二次大戦後に持ち帰ったものなどです。ロシア・ソ連国内の社会主義系の史料を中心に読んできた立場からすると、イギリス外交文書は新鮮です。ロシア・ソ連の史料とイギリス外務省の史料をつき合わせてみることで、ボリシェヴィキ政権を客観的に見ることができます。ボリシェヴィキ政権をボリシェヴィキの言葉で見るわけではなく、いわゆるブルジョワ社会の側から見ることで、何が異様に見えていたのかが、伝わってきます。2月革命後にペトログラード・ソヴィエトが反戦運動をやりますが、伝統的なロシア革命史では、反戦運動が盛り上がり最後に10月革命に至るという成功のストーリーになります。しかし、ブキャナンから見ると、ロシアでとんでもなく変なことが起こっている、ということになり、ロシア革命の流れから距離を取ってみることができます。
このコレクションは1918年で終わっていますが、その後ソ連が建国されます。確かイギリスは世界で初めてソ連を国家承認した国ではないですか?
イギリスは最初に革命後のロシアと貿易関係の協定を結び、ソ連が形成される前にドイツがラパッロ条約を締結しソ連を承認しました。イギリスが承認するのはその後です。
ソ連建国後、イギリスは駐ソ大使を置き、外交関係を再開したわけですから、今回の史料と同じように駐ソ大使が本省に送った報告が公文書館に残っているはずです。
残っているでしょうね。
イギリス人の情報収集能力が高く、端倪すべからざるものであることが分かったということだけでも大きい
それにも関心がありますか。
とても興味があります。結局、僕らロシア史の研究者はずっと、ソ連のアーカイブが公開される前は、公刊史料で研究してきたわけです。本来であればアメリカやイギリスの外交史料を見るべきでしたが、やはりロシアの話だからロシア語で読まなければという意識があって、ロシア語で書かれたソ連の史料にしか目が行きませんでした。国家のアーカイブが公開されれば、何かが分かるようになるのではないか、という気持ちがありました。ペレストロイカを経てアーカイブが公開され、それ以後今に至るまでの20年間ぐらい、我々はモスクワやサンクトペテルブルグやその他の都市へ行っては、未公刊のアーカイブ史料を読んで、論文を書いてきました。それは非常に大きな成果だったわけですが、逆に言えば、イギリスの大使が書いていたようなことは、棚上げしていたわけです。スターリンが何を言っていたか、という事実の方に興味がありますから、ロシア国内の史料をどうしても優先していました。ところが、今回改めてイギリスの史料を読んでみると、ソ連で起こっていることを他者の視点で見ることは非常に大事なことであるということが分かります。ボリシェヴィキの特異なことも、他者の目から見た方が分かります。それに加えて、イギリス人の情報収集能力が高く、端倪すべからざるものであることが分かったということだけでも大きいです。ロシア国内に読むべきすべての史料がロシア語で残っているわけでは必ずしもありません。逆に、外国人だからこそ書けたこと、見られたこと、伝えられたこともあるわけです。外交官の史料が無視できないことは1920年代のチェコの駐ソ大使の外交文書を使って書かれたソ連内政についての研究がありますから、前々から分かっていましたが、今回イギリスのものを読んでみて、新鮮な驚きがありました。ですから、1918年以後の外交文書もシリーズ化して出してくれるのであれば、申請したいです。そのときは、今回のようにまた油木さんにご協力いただかなければなりませんね(笑)。
電子化が望まれる史料があれば、できれば英語史料に関して、ご教示いただけますか。
こちらが教えてもらいたいほどです。(笑)英語の史料はあまり体系的に理解しているわけでないので、詳しくありません。むしろ、出版社や書店の皆さんがイギリス史の専門家と協力して、こういう史料があるので電子化したいとか、この史料はこういう使い方が出来ます、というマニュアルを作っていただければ、ロシア史の研究者は喜ぶと思います。今回の史料にしても、我々ロシア史の研究者が頼み込んで電子化してもらった史料ではありません。こういうものが出ました、と紀伊国屋書店さんからご紹介いただいたわけです。それはやはり、有難いです。我々ロシア史の研究者はモスクワへ行けば、アーカイブのカタログを見て史料を探すわけですが、イギリスやフランスのような他の国のことは、それだけで膨大な史料ですから、右も左も分かりません。ですから、こういう史料がありますと教えてもらうのは、大変有難い。
それができると面白いですね。
それに関連して一つ提案があります。今回の史料は、論文で引用する際に、どのように引用をするのが正しいのか、イギリス史の専門家でなければ分からない部分があります。イギリス公文書館に所蔵されている史料がマイクロ化された段階で、幾つものリールに切り取られたわけですが、その切り取られ方は、オリジナルの史料が持っている構造とは異なる可能性があります。複数のファイルが一つのコレクションとして構成されていたりします。一つのファイルをダウンロードすると、だいたい50ページほどありますが、公文書館のオリジナル史料の構成とは異なる可能性があります。この史料に関して、バイエルンの図書館が提供している資料がインターネットで閲覧できます。今回の史料と対応しているもので、マイクロ版のガイドです。この番号は何の番号を意味し、この人名は宛名を意味している、というふうに解説しています。こういうガイドがあれば、イギリス史のプロパーではない我々研究者には有難い。勿論、ゼロから作成して欲しいということではありませんが、このようなマニュアルがあれば史料を閲覧しやすくなります。
外交書簡であれば、発信者や受信者を明示したガイドということですね。
この史料には、中には、沢山のマスがあって、そこに日付が書かれていたり、番号が書かれていたりします。その番号が何を意味するのか、分からない場合があります。イギリスの文書館に足を踏み入れて途方に暮れているような感覚です。何らかのガイドがあれば助かります。
簡単に閲覧できて検索できるメリットばかりが強調されてしまいますが、オリジナル資料の書誌情報の側面にも注意を払わなければなりません
バイエルンの図書館が提供しているガイドですが、Scholarly Resourcesと書いてあります。これはマイクロ版を出版した出版社名で、小社Galeの一部です。先生が探し当てたのは、出版社が作成したマイクロフィルムのリールガイドです。これを参考資料としてデータベースに搭載してほしいということですね。
そうです。それをやっていただければ有難い。是非お願いしたいです。こういうものがあれば安心します。ロシアの文書館に初めて行っても、どんな文書がどういう形で出てくるか不安ですから、イギリスのものとなると、なおさらそうです。この種の電子化資料はパソコンで簡単に閲覧できて検索できるメリットばかりが強調されてしまいますが、オリジナル資料の書誌情報の側面にも注意を払わなければなりません。
そのガイドは、データベースからPDFでダウンロードできればよいということですね。
それで十分です。それがあれば、気が利いているな、と研究者であれば思うでしょう。
重要なご提案、ありがとうございます。
簡単に出来ることであれば、検討していただきたいと思います。
このデータベースの検索機能がすばらしい、というのは間違いありません。機能に関しては非の打ちどころがありません
分かりました。機能面でお気づきの点はありますか。探している記事に辿り易い設計になっていますか。
なっています。驚くほどよくできています。イギリスはいろいろな意味で進んでいて、議会文書もすべてデジタル化されて、豊かな経験を持っているためでしょう。ロシアのアーカイブはデジタル化が遅れています。最近になって、ようやくデジカメの持込が許されるようになったばかりです。それまでは、手で複写していました。あるいは、複写請求して、仕上がるまで1ヶ月かかるような世界です。今回の史料は、検索語を入れて検索すると、本当によくヒットします。キーワードを入れて検索すると、文書タイトルだけではなくて、本文まで見に行って、検索語がすべてハイライト表示されて出てきたのには感動しました。日本にはアジア歴史資料センター(アジ歴)がありますが、アジ歴のデータベースの検索は文書タイトルだけで、本文は検索できないはずです。全文を検索する機能は、本当にすごいことです。このデータベースの検索機能がすばらしい、というのは間違いありません。ダウンロードできるのも嬉しい。機能に関しては非の打ちどころがありません。
ありがとうございます。
ただ、検索機能に頼りすぎてしまうことのデメリットもあります。膨大な史料の中から必要な文書だけ拾ってきて満足する、ということになりかねません。キーワード検索すればすべて分かるというものではないですから。ポーランドという言葉で引っかからなくても、別の言い方でポーランドのことを語っている場合もあるわけです。ポーランドの話を別の文脈でしている場合もある。あまりにも便利であるが故に、検索機能に頼りすぎるのはまずいなぁ、とかえって自戒しました。何度も言いますが、この史料はとても面白いので、今関心を持っている革命期の部分は、検索機能だけに頼ることなく、悉皆的に読もうと思っています。それが一段落出来て、次に大戦期の論文を書くときは、その部分を悉皆的に読もうと思います。その際に検索機能は、何を優先して読めば良いか、当たりをつける手段として使うことになるでしょう。
この史料はロシア革命に関心があれば、誰もが欲しがると思います。ロシア革命に関心がある研究者は皆使うべき史料です
是非このデータベースを使い倒していただいて、論文を書いていただきたいと思います。
そうですね、じゃんじゃん使ってみようと思います。この前、和田春樹先生にお会いしたときに、東大でこの史料をデータベースとして導入したので、お見えになれば使えますよ、とお伝えました。ブキャナンがミリュコーフと会ってこういう話をしているという話をしたら、非常に興味をもっていただきました。とにかく、この史料はロシア革命に関心があれば、誰もが欲しがると思います。ロシア革命に関心がある研究者は皆使うべき史料です。
他のロシア史の先生方にもご案内いただきたいと思います。
そうですね。繰り返しになりますが、ロシア史研究者はもちろん、イギリス史、東欧史、第一次大戦とロシア革命の時期の国際関係をやっている研究者、さらには日本史の分野で外交史に興味がある研究者も使える史料です。ロシア史の講座がない大学にも需要はあるはずです。
今日のお話を一言で言えば、イギリス畏るべし、ということになりますね。(笑)
そうです。イギリス人がいかに深くロシアの内政に食い込んでいたかということであり、まさに、イギリス畏るべし、です。
現在、人文学はその存在意義を問われていますが、昔から<何のためにあるのか>という問いかけを迫られてきた歴史学にとっては古くて新しいテーマです。今こそ歴史研究者の出番ではないかという気がします。歴史学のための弁明をするとすれば一冊の本を書かねばならないかもしれませんが、これだけは言っておきたいということがあれば、お願いします。
歴史学が何のためにあるのかというのは、昔からあるテーマですが、功利主義的に答えるとすれば、過去を知ることによって現在をよりよく理解することができる、ということです。未来予測まではできませんが、未来のための何らかの手がかりを得ることはできます。もう少し功利主義的でない言い方をすれば、人間は時間の中で生きているということです。年をとれば経験や記憶の厚みが蓄積されます。社会は時間の中で生きている人間が作るものなので、時間について知ることは大切なことです。人間は時間の中で生きる存在であり、時間や経験の蓄積を研究するのが歴史学です。経済も政治もすべて人間がやっていることであり、歴史学は人間のすべてに関わりを持ちます。歴史を知るという構えがなくなれば、過去の経験が欠落したフラットな人間がその時その時の経験や目的だけで動くことしか出来なくなりますが、実際にはそんなことはありません。近い過去であれば、個人の記憶が回想録として結実し、遠い過去であれば社会の集合的記憶が後世に影響を及ぼします。過去を堀り返すというイメージで歴史学という学問を見れば、何の意味があるのか分からなくなりますが、人間が時間の中に生きる存在であるという前提に立って、時間の中に生きる人間に関する学問が歴史学である、というように説明すれば、意義のあることであると納得してもらえる、と私は確信しています。
今日はどうもありがとうございました。
※このインタビューを行なうに際して、株式会社紀伊國屋書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。
ゲストのプロフィール
池田嘉郎(いけだ・よしろう)
・最終学歴:
東京大学大学院人文社会系研究科単位取得退学
・略歴:
新潟国際情報大学情報文化学部情報文化学科講師(2006年9月) 東京理科大学理学部第一部教養学科准教授(2010年4月) 東京大学大学院人文社会系研究科(西洋史学)准教授(2013年4月)
・著著・論文:
ほか多数