加藤洋介先生にデイリー・メールについてお話を伺いました

 

  

 

 西南学院大学外国語学部・外国語学科 教授

『デイリー・メール』は未来派と同様、20世紀が大衆の時代であることを強く意識していました

実施日:2017年5月12日 
機 関:西南学院大学
トピック: Daily Mail Historical Archive

 

 

先生の研究テーマを簡単にご紹介いただけますか。

 

一次資料を読む目的の一つは、図版を探すことです

 

イギリス・モダニズム文学の研究者としてスタートしました。今は、領域横断的な研究を目指しています。モダニズム文学は、第一次大戦とその直後の時期と重なるため、第一次大戦が形成した文化にこれまで関心を持ち続けてきました。私が受けた教育は歴史的コンテクストを重視するものでしたから、今でも一次資料はよく読みます。暇を見つけては図書館で一次資料を読んでいます。モダニズム文学が登場した20世紀初頭は、文芸雑誌が多く刊行された時期でもあり、一次資料を読みながら文学を研究するという点では、読む資料には事欠きません。一次資料を読む目的の一つは、図版を探すことです。面白い図版を探し、自分の著書の挿絵として使います。本当に面白い図版が見つかったときは、研究者としての満足感が大きいですね。今は、20世紀イギリスにおける思想の受容に関心を持っています。たとえば、ダーウィンの進化論やフロイトの精神分析のような思想がどのように社会に受容されたか、ということです。当時これらの思想家の書物はよく読まれましたが、受容される過程で、その内容に変化が生じました。思想はそのまま理解されるのではなく、変化して受容されていく。その変化の過程を明らかにしたいと考えています。この方面でも、一次資料は欠かせません。

 

文芸雑誌をよくお使いになった、とのことですが、具体的にどんな雑誌ですか。

 

論壇を反映する雑誌は、書籍化された文献にはあらわれにくい思想史のコンテクストを知るには格好の資料です

 

よく読んだのは『English Review』です。『English Review』は西南学院大学図書館にも所蔵されています。『English Review』にはニーチェやダーウィン等の19世紀後半から20世紀初頭にかけての思想家の名前がよく出てきます。それから、『Criterion』もよく読みました。数年前に集中的に読んでいたのは『New Left Review』です。こういう雑誌は書籍化された文献にあらわれにくい思想史のコンテクストを知るには格好の雑誌です。

 

書籍にはあらわれにくい思想史のコンテクストが、雑誌を参照することで見えやすくなるということですが、具体的にご説明いただけますか。

たとえばニーチェは、いまではだれもが認める偉大な哲学者です。が、20世紀初頭のイギリスで、彼はしばしば野蛮で暴力的なドイツ文化の象徴として語られました。軍事力を増強してヨーロッパの国際秩序を大きく変えつつあったドイツは、イギリスにとって大きな脅威でした。2つの大戦でイギリスとドイツが敵対したことは周知の通りです。それで、簡単に言えば、ドイツの台頭はジェントルマンの国家であるイギリスを脅かしている、それがどれほど思想的に危険な文化であるかは、弱肉強食を肯定するニーチェの超人思想を見ればよくわかる、と論じられたわけです。こういうコンテクストは思想史を考えるためにひじょうに重要です。雑誌は論壇を反映しますから、こういうコンテクストを明らかにしてくれるわけです。

 

書籍と比較した雑誌固有の資料的価値に関する重要なポイントだと思います。ところで、『リスナー』(Listener)という雑誌がありますが、お読みになったことはありますか。

BBCの雑誌ですね。『リスナー』を集中的に読んだことはありませんが、自分の研究の重要なソースの一つであるとは考えています。

 

『リスナー』はモダニズムとも関わりがありますが、実はGaleは『リスナー』の創刊号から最終号までオンライン版で提供しています。

 

『リスナー』の読者投稿欄はBBCの聴取者の動向を知る上で役に立つ資料です

 

私が『リスナー』に興味をもつところは、BBCのラジオ番組への反響が載る読者投稿欄です。『リスナー』の読者投稿欄はBBCの聴取者の動向を知る上で非常に役に立つ資料です。

 

それ以外の雑誌では、『タイムズ文芸付録』(Times Literary Supplement, TLS)も時期的にはモダニズム文学の時期と重なりますが、TLSもGaleは創刊号以降をオンライン版で提供していますので、ご紹介させていただきます。それでは、本題に入ります。昨年、イギリスの新聞『デイリー・メール』のオンライン版をトライアルでご利用いただきましたが、どのような感想をお持ちになりましたか。

 

キーワード検索で関連の記事が瞬時に出てくるのは大きな魅力

 

圧倒的な情報量ですね。『タイムズ』のオンライン版もそうですが、キーワードを検索すると、関連の記事が瞬時に出てくるのは、大きな魅力ですし、あれだけの情報量を簡単に検索できるのは、研究資料として第一級のものです。ただし、同時に、データベースを使いこなすための教育を体系化する必要がある、とも感じました。

 

それは、先生方が使いこなす、という意味ですか。

そうですね。もっとアイデアやスキルがあればもっと有益に使うことができるのではないか、と使いながら感じたのも事実です。

 

使う上で何らかのハードルをお感じになった、ということですか。

喩えて言えば、大きな図書館に入って、どこから見てよいか、途方に暮れるという感覚です。大きな図書館に入っても、数日経過すると、使い勝手が分かってきて、所蔵資料を使いこなせるようになりますね。でも、『デイリー・メール』のオンライン版は、トライアルで使った限りでは、使いこなせるというレベルにはまだ辿り着けていないということです。どんなキーワードで検索すると自分の欲しい情報が返ってくるのか、まだ分からない部分が多いような気がします。

 

今のデータベースは、利用者がキーワードを分かっていて、好きなキーワードを入れて検索する、という発想で制作されています。その点で先生方が苦労されるということは、学生はもっと苦労されると思います。

 

データベースの利用法を考えることが新しい教育方法を考えることにつながる

 

教育におけるデータベースの利用法を考えることは、新しい教育方法を考えるきっかけになると思います。今までは教員がスペックを示して、一緒にこれを読もう、というやり方で進めてきましたが、そういうやり方ではなく、どうすれば、データベースに搭載されている膨大な資料を学生が使うことができるか、ということを考えなければならなくなります。それは、教育だけではなく、教員自身が研究用にデータベースを使いこなせるようになるためにも必要なことです。

 

重要な問題提起です。ところで、トライアルでは、特にどのような記事をお探しになりましたか。

 

第一次大戦の頃に使われた「精神の帝国」というキーワードで検索してみました

 

専門が第一次大戦前後の時代ですから、そのあたりの時期の記事を中心に検索しました。特に、「精神の帝国(Empire of the Mind)」というキーワードに関する記事を探しました。「精神の帝国」は、第一次大戦後によく使われるようになった言葉です。チャーチルはこの言葉を好んで使いました。第一次大戦の頃、イギリスは巨大な帝国でした。それまで、物理的に拡大し巨大な帝国を築いたわけですが、インドやアフリカなど海外に植民地を広げた結果、イギリス人だけでなく、多様な民族を内部に抱える帝国になりました。そうなると、帝国全体をまとめる必要が出てきます。帝国をまとめるキーワードとして使われた言葉が「精神の帝国」です。帝国内の多様な民族を精神的に一体化するという意味が込められています。

 

なるほど。

 

騎士道が精神の帝国の形成に一役買ったことが分かったのは、面白い発見でした


精神的な一体化を実現する上で重要な機能を担ったのがメディアです。英語という帝国の共通言語でニュースを帝国内に発信することを通して、多様な民族を一つの帝国民として形成していく、という発想です。メディアは精神の帝国の形成に貢献するよう期待されたわけです。『デイリー・メール』もこの動きに関わっていたはずです。今回、利用して興味深かったのは、騎士道の語彙が『デイリー・メール』の記事によく出てくることです。騎士道は歴史的には、イギリスのジェントルマン文化の形成に大きく貢献しました。騎士道の精神とは、正義感であり、忠誠であり、愛国心であり、愛するもののために犠牲になる精神です。騎士道自体は中世に由来するものですが、近代イギリスの精神文化のバックボーンとしても機能しました。そして、20世紀初頭の大英帝国の時代にあって、精神の帝国をまとめあげていく必要が出たときに、騎士道文化が改めて注目されるようになりました。騎士道文化を広く帝国内部に浸透させ、騎士道の語彙を使って帝国民の教育を行なうことは、帝国の一体化に大きく貢献するはずだと考えられたのです。今回、騎士道というキーワードで検索して多くの記事がヒットしたことは、騎士道が精神の帝国の形成に一役買ったことを教えてくれるもので、面白い発見でした。

 


Apr. 4, 1906


July 17, 1906


とても興味深いですね。検索した単語は “chivalry” ですか。

そうです。その他に “justice” や “fair play” でも検索しました。これらも騎士道に関連する言葉です。こういう言葉が好きだったのがチャーチルです。チャーチルは『デイリー・メール』にも記事を寄稿していますね。チャーチル周辺の人々も同じような語彙を使っているということも、今回確認できました。

 


June 18, 1901


November 16, 1929


Galeは『デイリー・テレグラフ』もオンライン版で提供しているのですが、チャーチルが政治家になる前、ジャーナリストとしてインドに従軍したときの記事を『デイリー・テレグラフ』に載せています。『デイリー・メール』の創業者のアルフレッド・ハームズワース(ノースクリフ卿)とも繋がりがあったようです。イギリスの新聞のデータベースを扱っていると、いろいろなところでチャーチルに出くわします。

 

チャーチルとメディアの関わりを研究するには、『デイリー・メール』や『タイムズ』が第一級の資料です

 

チャーチルは、どうやってメディアを使って帝国を精神的に一体化していくべきか、ノースクリフ卿とともに考えていました。ただ、この辺りの影響関係はあまり研究されてはいません。チャーチルといえば、第二次大戦でナチス・ドイツと戦った政治家というイメージがどうしても強く残っています。でも、ノーベル文学賞を受賞するほどの文学的才能にも恵まれていましたし、ジャーナリストの経験もあって、ジャーナリズムの政治的機能にひじょうに意識的だった人物です。チャーチルとメディアの関わりを研究するには、『デイリー・メール』や『タイムズ』が第一級の資料です。

 

精神の帝国の問題を考える場合、『デイリー・メール』が重要な歴史資料である、ということは、研究者の間で共通認識があるのですか。

そもそもこの問題を考える研究者がまだ少ないのですが、彼らのあいだでは共通認識であると言ってよいと思います。

 

先生はどうして今回、『デイリー・メール』を使ってみようと、お考えになったのですか。

 

ブリティッシュ・カウンシルを調べていくうちに、『デイリー・メール』の社主ノースクリフ卿に辿り着きました

 

昨年、『異端の英語教育史』(開文社出版)という本を出しましたが、そのときに、ブリティッシュ・カウンシルについて調べてみました。ブリティッシュ・カウンシルは1934年に「国際交流委員会」として創設された国際機関です。ブリティッシュ・カウンシルに関わった人々や影響力のあった人々を調べていくうちに、『デイリー・メール』の社主ノースクリフ卿に辿り着きました。それで、『デイリー・メール』のオンライン版を使ってみようと思ったわけです。

 

ノースクリフ卿とブリティッシュ・カウンシルの関わりは、どのようなものだったのですか。

ブリティッシュ・カウンシルの創設には多くの貴族が関わっています。役員にも貴族が多いです。『デイリー・エクスプレス』の社主であるビーバーブルック卿という貴族もブリティッシュ・カウンシルの創設に関わっています。この時代が面白いのは、ビーバーブルック卿もノースクリフ卿も、メディア王と言われた人々の多くが明らかにエスタブリッシュメントの保守派であることです。メディアの歴史を見ると、新興メディアは既存メディアの支配層とは異なる勢力と結びつく傾向があります。印刷術や映画やテレビが登場したときもそうですし、最近のインターネットもそうです。しかし、『デイリー・メール』創刊の頃の新聞メディアを見ると、エスタブリッシュメントとメディア革命の関連が顕著です。これは面白い現象だと思います。

 

ノースクリフ卿に関しては、「ノースクリフ革命」という言葉が使われるほど、イギリスの新聞を変えてしまった人物として語られます。編集人としても興味深い人物で、記者に対して、短い文章を書きなさいとか、分かり易い言葉を使いなさいとか、言っていたようです。自分の新聞が読者に受け入れられるにはどうしたらよいか、ということをよく考えていた人だったと思います。

 

『デイリー・メール』は、“shell shock” という第一次大戦が生んだ新しい病気のことを知りたいという社会の要請に応えた記事作りをしました

 

「精神の帝国」の他に、“shell shock” というキーワードでも検索してみました。“shell shock” は第一次大戦の神経症のことです。第一次大戦では、砲弾が飛んでくる中で、塹壕の中でいつ死ぬか分からない極限的な状況下にあって、精神障害を起こす若い兵士が続出しました。戦場から神経症患者が大量にイギリスに送り返されます。これに関する研究書はたくさん読んできたつもりですが、今回 shell shock” で検索してみて、読みきれないほど記事がヒットしたのは驚きました。いろんな発見もありました。言葉を失った兵士の症例とか、記憶を喪失した兵士の症例とか、いろいろな事例が詳しく報告されています。“shell shock” は第一次大戦が生んだ新しい病気で、人々はその情報を求めていたはずです。人間観を変えるほどの衝撃を社会全体に与えたからです。おそらくノースクリフ卿はこのあたりを敏感に感じ取っていたのでしょう。『デイリー・メール』は時代の要請に応えた記事作りをしていたのです。

 


July 10, 1915


September 9, 1916

 

イギリスには『タイムズ』や『テレグラフ』に代表される高級紙と、『デイリー・メール』に代表される大衆紙があります。研究資料としては、高級紙の方がよく使われるのに対して、大衆紙を使った研究事例はあまりないという印象を持っています。実際、『デイリー・メール』のオンライン版も日本での導入機関はゼロです。しかし、今のお話を伺うと、『デイリー・メール』も研究資料としての利用に堪えうる内容を持っているということが分かります。先生は、『タイムズ』と『デイリー・メール』の相違はどこにあるとお考えですか。

 

『デイリー・メール』は未来派と同じように、20世紀が大衆の時代であることを強く意識した新聞だったと言えます

 

 


April 17, 1909

『タイムズ』の方が知的読者向けに書かれているという印象を受けます。それに対して、『デイリー・メール』は、社会全体でどんな関心があるかを意識しているとの印象を受けます。一つ例を挙げると、未来派というモダニズムの芸術運動が20世紀初頭のイタリアで生まれました。指導者はマリネッティという詩人ですが、極めて個性的な人物です。詩作にとどまらず、多方面で活躍しました。マリネッティを理解するには、彼が行なった様々な活動を多角的に見る必要があります。今回、マリネッティで検索したところ、1909年にパリで決闘した記事が出てきました。相手は作家だったと思いますが、面白いのは記事の描写が非常に生々しいのです。劇画のように決闘の様子を伝えています。ところが、タイムズで検索すると、マリネッティの他の話題は出てきますが、決闘のことは出てきません。そもそも、未来派は大衆に訴えかけ、大衆を巻き込む芸術運動で、伝統的な芸術運動とは一線を画していました。たとえば、劇場に行って、「未来派の夕べ」という催し物をやるのですが、聴衆をわざと怒らせて、怒った聴衆からトマトを投げつけられるとか、そんなことを意図的にやったのです。20世紀が大衆の時代であることを強く意識した芸術運動でした。『デイリー・メール』にマリネッティの決闘のニュースが掲載されているのを見ると、こういうニュースを通して、イギリスで未来派が受容されていったことが肌感覚で分かります。『デイリー・メール』はやはり大衆的な関心を強く意識した新聞だったのでしょう。大衆の巻き込み方についても、『デイリー・メール』の記事から見えてくる部分があります。『デイリー・メール』は、未来派と同じように20世紀が大衆の時代であることを強く意識した新聞だったと言えるでしょう。

 

大衆を巻き込むということは、その後のファシズムにも繋がる問題ですね。『デイリー・メール』は、1930年代に、ヒトラーとの単独インタビュー記事や、ブラックシャツ隊(イギリスファシスト連合)礼賛記事など、一時期、ファシズムに傾いていました。ファシズムと『デイリー・メール』の関係も興味深いテーマではないかと思います。それにしても、マリネッティの決闘事件が『タイムズ』に出てこない、というのは面白い事実ですね。


January 15, 1934


October 19, 1933
 

『タイムズ』と『デイリー・メール』の相違をよくあらわす例といえるのではないでしょうか。

 

『タイムズ』と『デイリー・メール』を資料として使って論文を書くとします。先生なら、両者をどのように使い分けますか。

 

イギリスの社会やイギリス社会から生まれた文学や文化を読者という観点から研究するには、『タイムズ』だけではなく、『デイリー・メール』も参照する必要があります

 

そうですね。読者の概念を例に取ってみましょう。文学研究では、20世紀後半に読者の概念が大きく変わりました。それまでの読者とは、定冠詞付きの  “the reader”、つまり、一まとめに考えられた読者です。ところが、20世紀後半になると、読者はそのような抽象的なものではなく、世の中には性別も、地域も、世代も異なる多様な読者がいると認識されるようになります。読者に受容されると言っても、受容の仕方自体が多様です。特定の思想がイギリス社会に受容されると言っても、そのまま理解されるわけではなく、多様な読者の多様な受容の仕方によって思想は変化していきます。『タイムズ』のような高級紙の書評を見れば、『タイムズ』の読者が、その思想をどう受容したかが分かります。でも、『タイムズ』の書評がイギリス全体の反応を代表していたわけではありません。当時、マルクスの『資本論』はよく売れたらしいですが、実際にはあまり読まれてはいなかったと思います。購買者が多かったから、マルクスがイギリス社会に浸透したというような単純な話でもない。『タイムズ』のような高級紙、TLSのような書評専門紙、『デイリー・メール』のような大衆紙で掲載された同じ書物の書評を比較するのは、とても大きな意味があります。難解な思想の本であれば、思想を専門にしている人々は深く理解するでしょうが、その周辺にいる人々が受容すれば、その思想に屈折や単純化が生じます。こういうことはどんな社会でも起こりますが、イギリス社会は階級社会ですから、とりわけその傾向は強いです。ですから、イギリスの社会やイギリス社会から生まれた文学や文化を読者という観点から研究するには、『タイムズ』だけではなく、『デイリー・メール』も参照する必要があります。思想が単に受容されたということだけでは済まない複雑な現実を見るために、『タイムズ』と『デイリー・メール』を比較することは有効な方法であると思います。

 

『デイリー・メール』の読者に代表されるような一般人を研究の対象にする潮流はあるのですか。

 

過去の時代や文化を研究する場合、広範な社会階層を研究の対象に据えようという研究潮流は確かにあります

 

あります。文化を一部の特権階級が生み出すものと捉えるのではなく、社会全体で生み出すものと捉える考え方が20世紀後半に出てきました。レイモンド・ウィリアムズ(Raymond Williams)という批評家が「文化とは普通のものである(Culture is Ordinary)」という言い方をしました。かつてはハイカルチャーという、エリートや特権階級が生み出した文化を指す言葉がありましたが、今ではこの言葉をポジティブな意味で使うことは、少なくとも学術研究の世界ではありません。文化とは日常生活の中に存するものであって、一見高級に見える芸術運動も、同時代に存在する様々な文化との衝突や融合から生まれてくるというのが、文化に対する現在の支配的な見方です。その点では、過去の時代や文化を研究する場合、上流階級からミドルクラス、庶民まで、社会階層を広く研究の対象に据えようという研究潮流はあります。

 

その研究潮流の中で、イギリスの新聞であれば、『タイムズ』ばかり見ているのではなく、『デイリー・メール』のような新聞にも目配りをきかせた方が、過去の文化をより複合的に捉えることに繋がる、ということになるのでしょうか。

そういうことです。それが、どこまで実践されているかは、分かりませんが。

 

そのような研究潮流が、過去の新聞を使う方向にまで向かってくれればよいと思います。これまで、『デイリー・メール』を使った研究はあるのでしょうか。

あまり見たことはありません。

 

その理由はどこにあるのでしょうか。

やはり、アクセスできないという理由が大きいと思います。

 

逆に言えば、アクセスできるようになれば、研究資料として使われるようになるということですか。

私のようにアクセスしたいという研究者は多いと思います。

 

『デイリー・メール』の価値に気づいていない研究者の方もいらっしゃるという気がしますが、どうでしょうか。

それはあるかも知れません。

 

精神の帝国やシェルショックやマリネッティの例は、先生が今回、トライアルでお使いになって発見されたことですから、実際に使ってみないとその価値が分からない、という面はあるでしょうね。

 

これだけ研究の効率を高めてくれるリソースを利用しない手はありません

 

実際、利用しない手はないです。何といっても、研究の効率です。研究室のパソコンからネットにアクセスして、欲しい情報を入手できるというのは、今では当たり前のことですが、一昔前、私はマイクロフィルムを使って『タイムズ』を読んでいました。一日座って読み続けても、欲しい記事が出てくるとは限りません。膨大な記事を順番に読んでいかなければならないわけです。自分の大学にマイクロフィルムがない場合は、他の大学へ行って、そこで利用するというような苦労もしなければなりませんでした。そのような過去を知っている者にとって、検索をかけるだけで、欲しい情報が出てくるというのは、画期的ですし、驚異的なことです。これだけ研究の効率を高めてくれるリソースを利用しない手はありません。

 

文学研究者は必ずしも歴史資料を読むとは限りませんが、モダニズム文学の研究者には、先生のように歴史資料を読む人が多いのですか。

 

文学研究者が歴史資料を使うかどうかは、どのような研究の方法論をもっているかどうかに左右されます

 

そういうわけではありません。文学研究者は各々、アプローチが異なります。歴史的なアプローチをとるかどうか、そのような教育を受けてきたかどうか、ということが、文学研究者が歴史資料を使うかどうかを左右します。文学研究者になるときに、歴史的なアプローチを取る指導教官に学んだとか、一次資料をきちんと読んでから論文を書くように指導を受けたとか、教育の影響がとても大きいのです。私も、歴史的アプローチの教育を受けて研究者になりましたから、一次資料を読み、通常の文学研究者が知らない資料を探すことに喜びを見出します。こういうことは、指導を受けないと難しいです。若手が自分で一次資料を読み、マイクロフィルムを使って面白い資料を探すことはあまり期待できません。苦労して一次資料を読まなくても論文を書くことはできるわけですから。過去の新聞のような一次資料に目を通す意義や方法や有効性を教えてやらないと、一次資料を読むようにはならないのです。

 

私どもが営業をするときは、この先生はシェイクスピア、この先生はロマン派、この先生はモダニズム、というように研究分野を調べるわけですが、研究分野以外に、研究の方法論にも注意を払った方がよいということですね。研究の方法論が使う資料を決めるという面があるわけですから。

『タイムズ』のオンライン版は、西南学院大学では図書館のウェブサイトに行けば、学生も利用できます。学生を指導すれば、卒論を書くときに、『タイムズ』のオンライン版を使い始めます。でも、指導しないと、その存在にすら気付きません。図書館のウェブサイトに行けば出てきますが、ログインして、どういう記事があるのか、というところまでは行きません。やはり、分かっている人が、指導することが必要です。

 

データベースの利用法の教育が今後の教育方法を変えるという、最初お話になったことと繋がりますね。必要なのは、データベースのマニュアルですか、あるいはマニュアルとは別のものですか。

マニュアルも必要ですが、私がイメージしているのは、たとえば授業で、このような資料を、データベースを使って探してきなさい、という指導です。

 

キーワードを示してやって、このキーワードを使って、検索してみなさい、ということですね、

そうです。図書館でデータベースを使って行なった講義を受講した経験のある学生は、その方法を取り込みながら、卒業論文を書くことができるでしょう。今の学生はスマホも持っていて、入手できる情報量は非常に多いですが、電子リソースを使いこなすのは、一人では難しいです。教育が必要です。

 

今回、トライアルをなさって、機能面で何かお感じになったことはありますか。

特に不便に思ったことはありませんでした。ところどころ文字が読みにくかったところもありましたが、おそらく原紙のクオリティに起因するものでしょう。

 

記事はプリントアウトしてお読みになったのですか。

画面上で拡大し、一通り目を通し、必要なものは印刷しました。

 

先生はベーシック・イングリッシュに関する論文もお書きになっていますが、『デイリー・メール』の英語の語彙や語法についてはどのような感想をお持ちになりましたか。

読みやすい英語との印象は受けました。

 

普段、他にはどのようなデータベースをお使いになっていますか。

 

 一番良く使うのは、やはり、『タイムズ』のオンライン版です。本当によく使います。今までに出した二冊の単著(『異端の英語教育史』『D・H・ロレンスと退化論―世紀末からモダニズムへ』)では、『タイムズ』のオンライン版に大変お世話になりました。

 

『タイムズ』のオンライン版を使って、『タイムズ』の記事を引用される場合、どのように引用されますか。注釈にデータベース名まで入れますか。

データベース名までは入れていません。

 

同じ質問を先生方にしても、データベース名までは入れない、という先生が多いです。それが現状ではスタンダードなやり方なのでしょう。Galeのデータベースが論文や著書の中で使われているかどうか、知りたいと思い、著書や論文の注釈を調べてみることがあるのですが、データベース名が書かれていないと、使っていないと考えてしまいます。最後に、『デイリー・メール』のオンライン版の魅力に気がついていらっしゃらない方々に向けて、メッセージをお願いします。

 

多くの研究者に『デイリー・メール』の可能性に気付いて欲しい

 

私が専門している時代に限っても、キーワードを入れるだけで、新しい事実が次々に出てきますので、情報量は圧倒的です。特に、パソコンがあるだけで、簡単に検索できるメリットは非常に大きい。さらに、将来的にも大きな可能性を秘めています。現在の研究に生かせるというレベルにとどまらず、講義のテクストとして使うこともできます。講義で使うとなれば、教育の方法も考え直さなければなりません。その点では、今までの教育のあり方を変えていくような、大きな可能性を持っています。『デイリー・メール』のオンライン版を一つの電子リソースとして見るだけではなく、多方面に影響を及ぼす大きな可能性を秘めた資料としてみることができますので、その点では多くの研究者が『デイリー・メール』の可能性に気付いて欲しいと思いますし、これを使っていろいろなことを考えて欲しいと思います。

 

今日は、どうもありがとうございました。

 

※本記事に掲載されている写真の転載を禁じます。

ゲストのプロフィール

加藤洋介(かとう・ようすけ)

最終学歴:

南山大学大学院 博士後期課程単位取得退学 ノッティンガム大学大学院MA

略歴:

西南学院大学文学部英文学科教授

著著:

  • 『異端の英語教育史』(開文社出版, 2016)
  • 『D・H・ロレンスと退化論―世紀末からモダニズムへ』(北星堂書店, 2007)
  • 『新世紀の英語文学―ブッカー賞総覧2001-2010』(共編、開文社出版, 2011)

翻訳:

  • レイモンド・ウィリアムズ『モダニズムの政治学-新順応主義者たちへの対抗』(九州大学出版会、2010)
  • ロナルド・ノウルズ編『シェイクスピアとカーニヴァル-バフチン以後』(共訳、法政大学出版局、2003)

論文:

  • 「『チャタレー夫人の恋人』の健康法と踊りの文化」『英語青年』2007年9月号(2007) “Sons and Lovers and Problems of Text-Editing,” Studies in English Literature (1999)

ほか多数