南井正廣先生にECCOについてお話を伺いました

  

 

 同志社大学グローバル・コミュニケーション学部 教授

長年探していたパンフレットがECCOでヒットしたときは本当に驚きました。

実施日:2015年9月15日
ゲスト:南井 正廣 先生
機 関:同志社大学 
協 力:雄松堂書店 
トピック: 
Eighteenth Century Collections Online
Nineteenth Century Collections Online
The Making of the Modern World

 

 

今日は、同志社大学グローバル・コミュニケーション学部の南井正廣先生に、Eighteenth Century Collections Online (ECCO) についてインタビューさせていただきます。ECCOは、小社のデータベースの中では主力製品に位置づけられ、おそらく人文系に限定すれば、最もよく知られているデータベースではないかと思います。現在、世界で1,100以上の大学が導入しています。ご承知の通り、一昨年、JUSTICEコンソーシアム商品に採択され、それまでよりもお求めやすい価格でご提供できるようになりました。人文系のデータベースの中ではよく知られているデータベースだと思いますが、それほどの評判はどこから来るのかについては、実際に利用される研究者以外の方々にとっては、実はよくわからない部分があるかも知れません。そこで、今日は実際にECCOをお使いになっている先生にその辺りのお話をお聞きして、ECCOの凄さを多くの人に知っていただきたいと考え、南井先生にインタビューの申し込みをさせていただきました。それでは、ECCOに入る前に、先生の研究テーマをご紹介いただけますか。

 

授業では学生が興味を持ってくれるように、紅茶や庭園を取り上げています

 

 

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18世紀英文学、特にヘンリー・フィールディング(Henry Fielding)の小説が専門ですが、もともと文学作品に加えて、文学作品の社会的な背景や宗教的な背景、環境や歴史の中での小説という視点に興味を持っていましたので、作家・作品に関する先行研究はもちろん押さえますが、文学研究そのものに止まるよりも、他の歴史や美学や宗教の文献に意識的にウィングを広げてきました。今在籍しているグローバル・コミュニケーション学部の前は言語文化教育センターにいましたが、文学部の教員ではないため、学部生に講義をするにしても、文学作品は大概分厚いですし、翻訳のある作品も少ないため、18世紀の英文学をそのまま講義するわけにはいきません。それで、学部生が興味を持てる講義はどんなものか考え、紅茶やコーヒーのような嗜好品とイギリスの文化や歴史の関係、イギリスにおける庭園の発展のようなテーマを取り上げれば、学生は興味を持ってくれるのではないかと考えました。紅茶は17世紀の中頃にイギリスに輸入された後、18世紀に喫茶の慣習が広く社会に普及し、庭園も18世紀にイギリス風の風景式庭園のスタイルが確立されるなど、紅茶も庭園も18世紀のイギリスの中で重要な位置を占めているモノなので、私自身も関心がありました。

 


学生の反応はどうですか。

講義のテーマが珍しいからでしょうか、多くの学生が受講しています。今はキャンパスが分かれ、文系の学生は今出川キャンパスに移ってしまったので、受講する学生の数は少ないですが、3年ぐらい前までは100人から200人ぐらいの学生が受講していました。今年は、前半紅茶、後半庭園のテーマでやっていますが、おそらく学部生のほぼ全員が受講していると思います。

 

面白そうですね。私も聴講したいくらいです。小社では、ECCOなどデータベースを知っていただくために、ケーススタディをご用意しているのですが、実は、茶はよく取り上げる題材の一つです。茶がイギリスに入ってきた17世紀中頃、茶に関する新聞広告が登場します。小社の新聞データベースの一つに、17th and 18th Century Burney Collection Newspapersという、17世紀と18世紀にイギリスで発行された新聞を収録したデータベースがありますが、そこに茶がイギリスに輸入されたばかりの頃の広告を見つけることができます。茶に関する最初期の広告と言われているらしいのですが、3行ほどの小さな広告ですが、”tea”と呼ばれたり、”cha”と呼ばれたり、名前が定着していなかったことや、飲み物としてだけでなく薬としても使われていたことなど、イギリス人が初めて接した茶をどのように受け止めていたのかが読み取れて、面白いです。確かに、イギリスと茶の関わりは、イギリス文化に対する興味を引く入口として格好の話題だと思います。

 

“Mercurius Politicus”, September 30, 1658 (17th and 18th Century Burney Collection Newspapers 所収)

“Mercurius Politicus”, September 30, 1658
(17th and 18th Century Burney Collection Newspapers 所収)

 

そうですね。日本や中国では茶の栽培ができるのに、イギリスの環境条件では茶を栽培できません。にもかかわらず、フランスなど他のヨーロッパ諸国には定着しなかったのに、どうしてイギリスだけに定着したのかというのは、興味深いテーマです。

 

“Two Visits to the Tea Countries of China and the British Tea Plantations in the Himalaya” By Robert Fortune (Nineteenth Century Collections Online 所収)

Two Visits to the Tea Countries of China and the British Tea Plantations in the Himalaya” By Robert Fortune (Nineteenth Century Collections Online 所収)

 

 

緑茶でなくて紅茶が普及したのはなぜか、という問題もありますね。

18世紀の初めまでは、緑茶と紅茶が拮抗していたようです。一説ではある種のお茶が-ボヘア茶-安くて、バラの香りがして好まれた、という要因が影響したのではないか、と言われています。

 

19世紀には、イギリス人が中国の茶を植民地インドに移植しようとしたという話もあります。

紅茶スパイの話ですね。ロバート・フォーチュン(Robert Fortune)などが、移植できる茶の木がないか、中国で探りを入れていたというエピソードが残っています。最終的には、移植したのではなく、インドで野生の茶の木を発見して、インドでの栽培が始まりました。

 

ECCOをお使いになるきっかけは何だったのですか。

ECCOとしてデータベースになる前に、The Eighteenth Centuryというマイクロフィルムで提供されていましたが、そのときから使っていました。このマイクロフィルムは雄松堂書店の松永さんにご紹介いただきましたが、高額で全部は購入できませんし、マイクロという媒体の性質上、欲しい本を探して読めるまでに時間と手間がかかります。その後、Eighteenth Century Short Title Catalogueが提供され、マイクロと照合しながら使うと、欲しい文献が容易にヒットすることが分かりました。本格的に利用するようになったのは、その時からです。その後、松永さんから、マイクロフィルムがデータベースになると紹介され、早速ECCOをトライアルしたところ、使い勝手が非常に良いと感じました。

 

ECCOは文学・言語のユニットだけ導入しても意味がないということがわかりました

 

ECCOは様々なユニットに分かれていますが、トライアルではどのユニットをお使いになったのですか。

 

トライアルで使ったのは全ユニットですが、申請しようと考えていたのは、そのときはまだコンソーシアム商品に採択される前でしたから、文学・言語のユニットだけです。ただ、トライアルで使ってみて分かったのは、いろいろ検索してみて、面白いと思う文献が、文学・言語のユニットだけでなく、どう考えても文学・言語以外のユニットにもあるのです。それで、文学・言語だけを入れてもあまり意味がないと思うようになりました。実際、同志社大学図書館の蔵書は、オックスフォード大やケンブリッジ大は別として、1960年代以降に設立されたイギリスの新制大学と比較しても遜色はありません。その中で不足しているのは、18世紀に出た刊行物で今では入手が困難なものです。18世紀に刊行された稀少な文献ということになれば、様々な分野の文献になるわけですから、ECCOも特定のユニットではなく、全ユニットということになると思います。

 

長年探しあぐねていたパンフレットがECCOでヒットしたときは本当に驚きました

 

 

これまでECCOをお使いになって、こんな文献まで入っているのか、と驚いた事例があれば、教えてください。

2011年にディック・ターピン(Dick Turpin)というイギリスの追剥に関する本を上梓しましたが、ターピンに興味をもつようになったのは、20年ほど前、1冊のチャップブックをイギリスのチャリング・クロスで見つけて、面白いと思い、チャップブックの蒐集を始めたのがきっかけです。以前は、昔の本で欲しいものがあれば、海外の古書店からカタログを取り寄せ、選んでいましたが、インターネットが登場し、ネットで検索して、欲しい本を購入するスタイルに変わってゆきました。これで相当数の本を集めましたが、18世紀に刊行されたパンフレットやチャップブックの類はネットを使っても入手することができないのです。ターピンに関する本では、1737年に出た「新しいニュース(“New News; great and wonderful news fromLondon in an uproar; or a how [sic] and cry after the great Turpin,with his escape into Ireland”)」というパンフレットを探したのですが、どうしても見つけることができず、アメリカのミズーリ大学図書館やイギリスのエセックスにある地方図書館に手紙を書いて、複写の依頼をしていました。ところが、ECCOで検索したら、パッと出てきました。本当に驚きましたし、有難かったですねぇ。

 

ECCOの大きなメリットは、パンフレットやチャップブックのような稀少な文献が入手できること

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古書市場で入手できない稀少な刊行物がECCOで入手できるというメリットは大きいということですね。ECCOに関しては、普通の書籍もさることながら、パンフレットやチャップブックのような稀少な文献が入手できるメリットが大きいかも知れません。

 

ターピンは馬に乗ってロンドンとヨークの間を一晩で移動して、アリバイ工作するわけです。そんな遠くに移動できるはずはない、と。その情報がどのチャップブックに一番初めに出たのか、調べていたのです。死後刊行されたターピンの伝記にはその情報は載っていません。そういうことを順番に調べてゆくときに、やはりECCOに収録されているチャップブックが最も役に立ちました。

 

 

ECCOに収録されている文献は押さえておく必要があるという感覚が研究者のあいだに生まれているように思われます

 

ECCOは相当数導入が進み、世界的にも1,100校以上の大学で導入が進んでいます。データベースが導入されることによって、研究の新しい動きのようなものを感じることがありますか。

昔であれば、研究の終わりというか区切りが付けられないところがあったと思いますが、ECCOが出てきてからは、ECCOで調べても見つからないのであれば、それ以上調べても無理かも知れないという感覚が出てきたように思われます。逆に言えば、昔であれば誰も目にすることがなかったようなマイナーな文献でも、ECCOに収録されていれば、誰かが読んでいるかも知れないし、押さえて置く必要がある、そうしないと学会発表をするとき、指摘されるかも知れない、という感じになりつつあるような気がします。

 

最低限押さえておかなければならない文献のラインがECCOによって設定されたということですね。

最低限といっても、ものすごい広がりを持っているのですが(笑)。ただ、プロとして研究するからには、ECCOに収録されている文献はフォローしておく必要がある、と自覚しています。昔のように、偶然、珍しい文献を見つけたというようなことでは許されない状況になっています。ただ、それは、日本の文学などの研究水準が、海外の研究と対等にやっていけるだけの水準に上がりつつあるということを意味しているのかも知れませんが。

 

ECCOという形でデータベース化される前であれば、ECCOに収録されている文献をある程度包括的に参照しようと思うならば、海外に行かなければならなかったと思います。それが研究室でパソコンを使って閲覧できるということは、海外の研究者と伍してゆける環境が整備されたということを意味しますね。ところで、18世紀に関する電子リソースでは、他にはどのようなものをお使いになりますか。

ECCO以外はほとんど使っていません。EEBO(Early English Books Online)はときどき使いますが。ただ、紅茶や庭園のテーマをやる場合、18世紀だけでなく、19世紀初頭に刊行された本を見逃すわけにはいきません。でも19世紀の刊本は、ECCOではカバーされていません。NCCOというデータベースがあるようですね。

 

はい、Nineteenth Century Collections Onlineです。

ただ、19世紀はもの凄く出版点数が増えたので、NCCOはどのくらいカバーしているのでしょうか。19世紀の本に関しては、当面古書でカバーするしかないと思っています。

 

“The history of the tea plant” Published by Lackington, Hughes, Harding, Mavor and Jones, for the London Genuine Tea Company (The Making of the Modern World 所収)

The history of the tea plant” Published by Lackington, Hughes, Harding, Mavor and Jones, for the London Genuine Tea Company (The Making of the Modern World 所収)

NCCOはECCOの後継としてリリースされたデータベースですが、ECCOと異なるのは書籍と定期刊行物とマニュスクリプトが収録資料の3本柱になっていることです。書籍も相当数収録されていますが、ECCOのような包括的なものではありません。ただ、紅茶や庭園であれば、同志社大学様も導入済みのThe Making of the ModernWorld (MOMW)という、ゴールドスミス・クレス文庫をベースにしたデータベースが19世紀の刊行物まで収録しているため、関連文献を見つけることができるかも知れません。

そうですか。今度使ってみます。

 

学生や大学院生もECCOを使った方がよいとお考えですか。

修士課程の大学院生であれば、古典をきちんと読んで、先行研究を押さえた上で、論文を書けばよいので、ECCOまで使うことは少ないかも知れません。博士課程の大学院生や若手の研究者であれば、ECCOを使って、新しいことを見つけて、論文にして発表することはできると思いますし、是非やってほしいと思います。

 

ECCOを使うのが当たり前みたいになる時代が来るかも知れません

 

ECCOが押さえておかなければならない最低限のコレクションという位置づけを持ちつつある中で、先行研究の中には、ECCOを使って論文にしたものも、どんどん出てきているはずですね。大学院生にとっても、ECCOを活用できれば、新しい研究を促す発見に出会うかもしれないですね。

この10年ぐらいを振り返ると、以前は京都大学と早稲田大学ぐらいにしか導入されていなかったECCOが、JUSTICEコンソーシアムでの採択後、他の大学にも導入されるようになり、研究者はもちろん大学院生もアクセスできるようになっているので、ECCOを使った論文がどんどん出てくると思います。ECCOを使うのが当たり前みたいになる時代が来るかも知れません。

 

留学先の授業で電子リソースに接し、学んで帰ってくる学生が多いです

 

学生と接していて、電子リソースの利用の仕方に関して、何かお気づきになることはありますか。

同志社大学グローバル・コミュニケーション学部の学生は2年生のときに1年間留学します。1年生のとき、留学するための英語の特訓をします。留学先の授業で、いろいろな電子リソースに接して、学んで帰ってきます。帰国後、3年次のはじめにデータベースのオリエンテーションを受けるとき、留学先で使ったことあるとか、知っているという学生が多いです。実際にゼミの論文を書くときは、こういうデータベースを使って書いているようです。

 

在外研究や留学で英国に滞在していたときに、ECCOを使ったことがあるという研究者の方によく出会います。特に、若い研究者の方に多いです。学生にデータベースの講習をなさっているというお話がありましたが、どのような講習をなさっているのですか。

ライブラリアンに来ていただき、幾つかのデータベースに関して、利用法や内容について話をしてもらい、その後、各々のゼミの担当者が、たとえばコーヒーハウスに関する文献を探してみなさいというように、テーマを与えて、探させるということをやっています。本学図書館が所蔵している文献であれば、どの図書館にどんな文献が所蔵されているか、という課題を与えて、見つけた文献の名前を書かせるようなことも、やっています。学部生にはECCOは難しいので、講習では使っていません。主に論文を収録したデータベースなどを使って、指導しています。

 

論文の他には、レファレンスですか。

そうですね。

 

先生は、データベースを利用する学生に対して、どのようなサポートをなさるのですか。

多くの検索結果から本当に自分が捜している文献を突き止めるのは学生にとって容易ではありません。たとえば、”Passion”は情熱という意味になったり、受難という意味になったり、同じ言葉が異なる意味を持ちます。そのようなことは、学生はまだよく分かっていないので、サポートしています。多くの検索結果の中から、どれが探している文献か当たりをつけるためのサポートです。

 

知識が繋がってゆく楽しさを学生に伝えたいと思っています

 

データベースを使う学生にはどのようなアドバイスをなさっていますか。

データベースに限りませんが、何かを調べ、考えているとき、最初から気がついていることは少なくて、たとえば本を読んでいるうちに次にこの本を読みたいとか、本がどんどんリンクしてゆく中で、いろいろなことが見つかってゆくという経験は私自身にもよくあります。頭で考えながら書いているときにも、突然回路が繋がったりして、新しい発見をすることがある。ですから、データベースを使うときも、どんな単語でもいいから、知っている単語を使って検索すれば、それを起点にして次第に知識が繋がってゆくはずです。知識が繋がってゆく楽しさというものを学生に伝えることができれば、と思っています。

 

ECCOは18世紀の刊行物を収録しているデータベースですから、学部生が使うには難しいかも知れません。ただ、実際に書かれている内容を読まなくても、綴りの違いだとか、タイトルページの年号がローマ数字になっていたり、タイトルが妙に長かったり、とか、現代の本と18世紀の本の違いを知ってもらうという使い方もあるかも知れません。

18世紀に紅茶の是非に関する論争があったのですが、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)とかジョナス・ハンウェイ(Jonas Hanway)らが書いたものを、当時の本からコピーしてきて、学生に読ませるわけですが、Sの綴りが今と異なるのを見て、学生が「これ何ですか」と訊いてきたりします。

 

データベース自体の面白さもあると思います。検索語はハイライトされていますし、検索の対象をフルテキストやキーワードなどから選ぶことができ、それぞれ検索結果が異なります。そういうデータベースを使う面白さを体験することも学生にとっては意味のあることではないかと思います。

必要性を感じたら、学生はすぐ使うと思います。教える側がいかに学生に必要性を喚起してゆくかが重要だと思います。課題を出せば、学生は簡単にやると思います。ただ、学部生に教えるときは、あまりにも細かいことを教えるわけにはいかないので、注意しなければなりません。

 

話題が変わりますが、文学教育が最近置かれている状況に関してですが、文学テキストを精読するという伝統的なやり方ではなく、文化的アプローチや、映画を使って学生の興味を引き出すという傾向が日本だけでなく、世界的に見られるような印象を受けます。文学部の先生方は苦労をなさっているのではないでしょうか。

私が20年前にイギリスに留学したとき、すでにそういう傾向がありました。サミュエル・リチャードソン(Samuel Richardson)の「クラリッサ(Clarissa, or, the History of a Young Lady)」というPenguin Classicsで電話帳みたいに分厚い本がありますが、学部生に全部読んだかと訊いたら、ビデオを見ただけと言っていましたが(笑)。イギリスでもそういう苦労はしていると思います

 

ECCOは文学が置かれた今の状況に相応しいツールであるかも知れません

 

まったくECCOを知らない人にECCOの素晴らしさ、価値を伝えるとすれば、どのような言い方をなさいますか。

何よりも、EEBOと併せれば、18世紀の終わりまでの英語圏で刊行されたほとんどの文献を研究文献として読むことができる魅力をまず伝えたい。昔であれば、フィールディングの研究者が、Cambridge Bibliography of English Literatureのような書誌を参照しても、フィールディングに関する文献しか目にすることはなかったと思いますが、現在の文学研究と教育においては焦点が文学テキストからテキストの周辺へ離れてゆく傾向があります。ECCOは文学が置かれた今の状況に相応しいツールであると言えるかも知れません。文学だけでなく、社会も美術も宗教も法学も含め、全領域を網羅しているのですから。18世紀に興味があれば、何でもいいからキーワードを見つけて、調べてみなさい、きっと面白い発見に出会うはずです、ということは言いたいと思います。

 

言うまでもないことですが、作家はその時代的文脈の中で活動していたわけですから、作家を知るには時代背景も知る必要は出てきます。


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1798年にワーズワース(William Wordsworth)とコールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)が『抒情民謡集(Lyrical Ballads)』を刊行したことをもって、文学史ではロマン主義の始まりとしますが、同時代のフランスでは革命が収束していませんし、イギリスでは保守的な政治運動が起こっていました。1798年を境にここからロマン主義、ここまではプレ・ロマン主義、ピクチャレスクなどと分類しますが、その当時の本の刊行状況を見ると、19世紀に入ってもロマン主義とピクチャレスクが混在していて、1790年代のある時点で突然ロマン主義になるわけはない。いろいろなものが混沌としていたはずなので、単純化しないで複合的に見てゆく必要があります。ロマン主義文学の研究者はロマン主義だけにとらわれて、ワーズワースはピクチャレスクの本を読んで新しい文学境地を見出したと言いますが、もちろん一夜にして変わるのではなく、19世紀に入ってもまだピクチャレスクの本は売れ続けています。進化論的に見る必要はありません。

 

当時の人の視点に立って考える作業を行なうときにECCOは強力なツールになります

 

後世の人が過去を見るとき、とかく過去の現象の中から恣意的に選択することがありますね。

未来がどのようになるのか誰にも分かりません。18世紀のある時点に立って考えるとき、その後の歴史的経過を知っている我々の視点をそこに持ち込むのではなく、その後の経過を知らない当時の人の視点に立って考える作業が必要になります。口で言うほど容易ではありませんが、ECCOはその作業を行なう際に強力なツールになると思います。

 

英文学者はこれまでキャノン中心に研究してきましたが、周辺の作家も押さえる必要があります

 

古典と言われる文献は、後世の人に選ばれて、古典の地位を得ています。その影には多くの忘れられた文献もあります。古典と呼ばれる作品が誕生した時代に、他にどのような作品が刊行されていたのかを知る作業も必要になってくると思います。その点で、忘れられた文献も含めて収録されているECCOは、18世紀をトータルに理解できるというメリットがあると思います。

20世紀の初頭に英文学が大学で教えられるようになったとき、文学のキャノン(正典)が作られ、それ以来、英文学者はキャノン中心に研究してきましたが、ウィングを広げるようになると、周辺も押さえる必要がでてきます。

 

Nineteenth Century Collections Online, “EuropeanLiterature, 1790-1840: The Corvey Collection”は約1,250人の作家の約3,250篇の作品を搭載している

Nineteenth Century Collections Online, “EuropeanLiterature, 1790-1840: The Corvey Collection”は約1,250人の作家の約3,250篇の作品を搭載している

さきほど名前の挙がったNCCOは12のユニット(アーカイブ)が分かれています。その中にロマン派の作品を集めたユニットがあります。イギリスだけでなく、ヨーロッパ諸国のロマン派の文学作品を同時代のドイツの貴族が蒐集したコレクションで、コルヴァイ城で蒐集されたため、コルヴァイ・コレクションと呼ばれています。蒐集された作品を見ると、ワーズワース、バイロン、キーツ等の有名作家は少なく、むしろ、現代では忘れられた作品を含め、当時の文芸市場でどんな文学作品が流通していたか知ることができます。女性作家や下層階級出身の作家の作品も収録されています。

それ、マイクロフィッシュで同志社大学の図書館に入っていませんか。

 

はい、所蔵されています。

忘れられた作品と言えば、イギリスの大英図書館にバリー・オノ(Barry Ono)のコレクションというのがあって、児童向け読み物やペニー・ドレッドフル(Penny Dreadful)を収録したものですが、ディック・ターピンの本を書いているとき、マイクロフィルム版をよく利用しました。このコレクションも時間の波の中で消えてゆきそうなものを全部、バリー・オノが蒐集して残してくれたものなので、電子化されることを望みます。

 

 

Nineteenth Century Collections Online, “British Theatre, Music and Literature”はBarry Ono Collectionに収録されている書籍約600篇と定期刊行物50誌を搭載している

Nineteenth Century Collections Online, “British Theatre, Music and Literature”はBarry Ono Collectionに収録されている書籍約600篇と定期刊行物50誌を搭載している

そのバリー・オノのコレクションもNCCOに入っています。コルヴァイ・コレクションとは別のユニットですが。

入っているの!欲しいなぁ

 

 

ECCOで探さないと出てこないような文献を使った研究発表が出始めています

 

 

Turkish Spy

 

日本あるいは外国で、学生もしくは大学院生がECCOを使った事例で印象に残っているものがあれば教えてください。

若手の研究者で、中国表象やシノワズリーをテーマに研究している人がいます。たとえば、サー・ウィリアム・テンプル(Sir William Temple)やジョセフ・アディスン(Joseph Addison)は、イギリスの伝統的な幾何学的庭園のようなものは誰でも作れる、中国の庭を見なさい、中国の庭は不規則に見えるかもしれないが、そこには誰にも見えない形で規則が貫いていて、このような庭園を造るのは難しい、というようなことを言っています。また、モンテスキューが『ペルシア人の手紙』の中でペルシア人にフランス社会を風刺させたように、オリヴァー・ゴールドスミス(Oliver Goldsmith)が『世界の市民(The Citizen of the World)』という、中国人がイギリス文化を論じるという体裁の本を書いています。イギリスに限らず、ヨーロッパの18世紀では、いろいろな領域に中国の影響が色濃く出ていた時代で、その現象を対象にした研究で、研究発表を聞く機会がありましたが、ECCOで探さないと出てこないような文献が次から次に出てくるのです。ルイ14世の宮廷でトルコ人の密偵が書いたとされる架空の手紙をまとめた本(Turkish Spy)など、普通の古書店や図書館で探しても見つからないような文献です。これなどを見ても、時代が変わったという印象を持っています。

 

ECCOのインターフェースの機能面でお気づきの点はあります。

特に不自由に感じたことはありません。読みにくいのはオリジナルの文献に原因があるのでしょうから(笑)。

 

ECCOの単独のプラットフォームの他に、Gale Primary Sourcesという横断検索プラットフォームもご提供していますので、お使いください。

それは知りませんでした。

 

ECCOもJUSTICE(大学図書館コンソーシアム連合)によるコンソーシアム価格が設定され以前よりも国内の多くの大学で導入されるようになりました。ヨーロッパについての人文系の研究はこれまで、現地でおこなわれている研究に比べて言語的な、資料的な障壁があったかと思いますが、その障壁がわずかなりとも軽減されたと言えるのでしょうか。

そう言えると思います。

 

人間の歩みを理解するためには、思想や感情を探求するヒューマニティーズを蔑ろにすることができません

 

大学機関の予算が減りつつあるなか、いわゆる理系の電子ジャーナルへ予算が充てられて、人文系のデータベースには手が回らないといった現状があるかと思います。大学あるいは国の予算配分に責任を負う方に人文学研究の必要性を訴えるとすれば、どのようなことを訴えますか。

大きな質問だなぁ(笑)。一言で言えば、温故知新です。人間の文明や文化の足跡を見ると、人間は進化しているようで、変わらない部分もあります。人間が歩んできた道は、サイエンスやテクノロジーだけでなく、精神や思想や感情を含めて、理解しなければなりません。だから、古代ギリシア・ローマの時代からヒューマニティーズが教養の中に入ってきたのです。ですから、蔑ろにしてはいけません。ヒューマニティーズが平行してある中でサイエンスやテクノロジーもあるのではないかと思います。サイエンスやテクノロジーだけ進めば、それが暴走することもあるかも知れません。ですから、地味だけれども、昔のことも知った上で、発言しなければいけないと思います。

 

ECCOが初めて日本の大学に導入されたときに、18世紀を研究されている研究者はどの分野の方も、ECCOのことをご存知で、喉から手が出るほど欲しい、とおっしゃっていました。JUSTICEコンソーシアムに採択されて、コンソーシアム特価で提供されるようになってから、多くの大学で導入されるようになりましたが、それでも導入に至っていないお客様がまだ多くいらっしゃいます。お客様には各々のご事情であるのは重々承知しておりますが、研究者の間ではECCOを導入して当然という風潮がある中で、ご自分の大学でも導入したいと思って申請されても、本当に使うのか、それだけの価値のあるデータベースなのかという声が根強く残っているようです。そのような状況に対して、先生はどのようなことをおっしゃいますか。

それは難しいですね。それぞれの大学が置かれた事情がありますから。中小規模の大学ではそういう声が出てくるのは、止むを得ないかも知れません。

 

図書館の本やデータベースを購入するのは将来の人のためでもあるという発想も必要だと思います

 

中規模の大学でも難しい場合があります。ご導入いただき、お使いになった先生から「凄いデータベースだね。やはり、導入して良かった。」と言っていただくと、出版社冥利、本屋冥利につきるところがあり、とても嬉しく思います。コンソーシアム特価の適用は期間限定であって、期間が過ぎると、元の価格に戻ってしまいます。その機会を逃すのはもったいないですし、期間内に導入いただき、将来的に研究者が異動して来られたときに、この大学はECCOを使える研究環境だと思ってもらえると良いではないですか、と訴えていますが、なかなか難しいですね。

大学の予算規模の問題もあるので、一概には言えません。ただ、研究の場としての大学ということを考えたときに、最高水準の資料が入ったデータベースを導入することは必要です。それに、図書館の本というのは、今その大学にいる人が使うということも勿論ありますが、将来を見据えれば、誰が使うか分からないものです。グローバル・コミュニケーション学部の書庫にはThe Illustrated London Newsのオリジナルが所蔵されていますが、先輩が苦労して購入されたものです。今の若い先生がこれを使って研究発表すれば、凄いことです。実際、小池滋先生が「すごいなぁ」とおっしゃったというぐらいですから。先見の明ではありませんが、図書館に置く本やデータベースは、現在の人のためだけでなく、後輩とか将来の人のためにも買うという発想も頭の中に入れておく必要があるのではないでしょうか。

 

先ほど、留学先の大学で電子リソースを使って帰ってきた学生のお話がありましたが、研究者の方も同じではないかと思います。ECCOではなくMOMWの例ですが、MOMWもデータベース化される前はマイクロフィルムで提供されていました。MOMWがコンソーシアム商品に採択されたとき、格安価格でご提供できるようになりました、とある研究者の方に伝えると、「うちの大学にはマイクロフィルムがあるので要らない」と言われました。その後、その先生は在外研究でイギリスに1年間滞在していたのですが、帰国した直後に先生にお目にかかったとき、「MOMWを入れたい」とおっしゃるのです。イギリスへ行かれる前とは随分違うなぁと思っていると、イギリスに滞在中に向こうの先生から「MOMWは絶対導入して使ったほうが良いよ。」と言われたようです。イギリス滞在中もMOMWをかなり使われて、これはマイクロとは全然違うし、導入すべきだという考えになったらしいです。それで、すぐ導入してくださいました。

やはり、在外研究中に感化されることはありますね。

 

ECCOは学際研究のデータベースと言ってよいかもしれません

 

最後に、これから利用される学生、大学院生に対するメッセージがあれば、お願いします。

先ほども言いましたが、どの分野のことをやっている学生でも、今の時代、一つの分野で完結することはほとんどありません。私が大学生のときに学際的という言葉を読んだときに、何だろうと思ったことがあります。当時は辞書にも載っていませんでした。今は学際研究が文系でも理系でも、当たり前のように行なわれています。ECCOというデータベースは学際研究のデータベースと言ってよいかも知れません。是非お薦めしたいです。

 

今日は、どうもありがとうございました。

 

※このインタビューを行なうに際して、雄松堂書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。

 

 

ゲストのプロフィール

池田嘉郎(いけだ・よしろう)

・最終学歴:

東京大学大学院人文社会系研究科単位取得退学

・略歴:

新潟国際情報大学情報文化学部情報文化学科講師(2006年9月) 東京理科大学理学部第一部教養学科准教授(2010年4月) 東京大学大学院人文社会系研究科(西洋史学)准教授(2013年4月)

・著著・論文:

  • 『革命ロシアの共和国とネイション』山川出版社、2007年
  • (翻訳)ミヒャエル・シュテュルマー『プーチンと甦るロシア』白水社、2009年
  • (編著)『第一次世界大戦と帝国の遺産』山川出版社、2014年
  • (共編著)『国制史は躍動する:ヨーロッパとロシアの対話』刀水書房、2015年
  • (共編著)『名著で読む世界史120』山川出版社、2016年
  • (共編著)『社会人のための現代ロシア講義:東大塾』東京大学出版会、2016年
  • (共編著)『ロシア革命とソ連の世紀 1-5』岩波書店、2017年
  • 『ロシア革命 破局の8か月』岩波書店、2017年
  •  「ロシア共産党第12回大会民族問題部会の考察」、ソビエト史研究会編『旧ソ連の民族問題』木鐸社、1993年、47-86頁
  • 「ロシア革命と地方――サマーラ県を事例にとって」『ロシア史研究』56号、1995年3月、56-64頁
  • Феномен советского бюрократизма в годы гражданской войны. Вкн.: Академик П.В.Волобуев. Неопубликованные работы. Воспоминания. Статьи. М., Наука. 2000. С. 356-363
  • Большевистская политическая культура и деревня (1920 г. в Московской губернии). Вкн.: Право,насилие,культура в России: Региональный аспект (первая четверть ХХ века). Москва, Уфа, Изд. Уфимского государственного нефтяного технического университета. 2001. С. 314-327
  • 「内戦期ロシアにおける労働理念――生産アジテーションの分析を中心にして」『史学雑誌』111巻12号、2002年12月、1-35頁
  • Между вождизмом и коллективизмом: Проблема личности в политической культуре большевиков, The Soviet and Post-Soviet Review, Vol.30 No.3, July 2003, pp.221-243
  • 「内戦期のモスクワにおける党と行政」『スラヴ研究』51号、2004年5月、1-25頁
  • Особенности государства и общества в СССР: Новейшие подходы японских исследователей, The Soviet and Post-Soviet Review, Vol.31 No.3, September 2004, pp.309-324
  • The Reintegration of the Russian Empire and the Bolshevik Views of "Russia": The Case of the Moscow Party Organization, Acta Slavica Iaponica, No.22, March 2005, pp.120-140
  • 「革命期ロシアにおける全般的労働義務制」『史学雑誌』114巻8号、2005年8月、1-33頁
  • 「内戦期のロシアにおける行政の自律性について――モスクワ市の事例に即して」『ロシア史研究』77号、2005年12月、20-35頁
  • 「革命期ロシアにおける労働とネイション・ビルディング」『ロシア史研究』78号、2006年5月、79-95頁
  • 「農村統治とロシア都市:県・市合同の分析(1918-1921)」、奥田央編『20世紀ロシア農民史』社会評論社、2006年、193-217頁
  • 「第一次大戦期ロシア帝国の保養地事業とナショナリズム」『19世紀学研究』1号、2008年3月、122-140頁
  • 「スターリンのモスクワ改造」『年報都市史研究』16号、2009年2月、36-51頁
  • 「専制、総力戦と保養地事業――衛生・後送部門最高指揮官オリデンブルグスキー」『ロシア史研究』84号、2009年5月、47-63頁
  • 「ユーラシアの地政学としてのソヴィエト建築学――モスクワ、ノヴゴロド、北京」『地域研究』10巻2号、2010年3月、90-108頁
  • 「ネップ期ソ連における国家と都市管理――内務人民委員部の活動から見る」『ロシア史研究』86号、2010年5月、31-47頁
  • 「社会主義の都市イデア」、吉田伸之・伊藤毅編『伝統都市1イデア』東京大学出版会、2010年、209-232頁
  • Труд как способ формирования ≪советских граждан≫: производственная пропаганда, 1920-21 гг. В кн.: Падение империи: Революция и гражданская война в России. М., Социально-политическая мысль. 2010. С.308-327
  • 「記憶の中のロシア革命――ロンム『十月のレーニン』とスターリン時代の革命映画」、塩川伸明・小松久男・沼野充義編『記憶とユートピア(ユーラシア世界3)』東京大学出版会、2012年、101-126頁
  • 「第一次世界大戦、ロシア革命、ネップ」、ロシア史研究会編『ロシア史研究案内』、彩流社、2012年、113-124頁
  • 「ソヴィエト帝国論の新しい地平」『世界史の研究』234号、2013年2月、1-12頁
  • 「敗北後のジノヴィエフ――『ヴェ・イ・レーニン』構想メモ」、中嶋毅編『新史料で読むロシア史』山川出版社、2013年、128-145頁
  • 「ロシア史研究の中の戦後歴史学――和田春樹と田中陽兒の仕事を中心に」『史潮』新73号、2013年7月、39-59頁
  • 「『社会運動史』覚書き」『史苑』74巻1号、2014年1月、59-72頁
  • 「幸福なモスクワ」『東京大学文学部次世代人文学開発センター研究紀要』27号、2014年3月、17-26頁
  • Autonomous Regions in the Eurasian Borderlands as a Legacy of the First World War, in Shinichiro Tabata (ed.), Eurasia's Regional Powers Compared: China, India, Russia, Routledge, New York, 2015, pp. 155-170
  • The Notion of Obshchestvennost’ during the First World War, in Yasuhiro Matsui (ed.), Obshchestvennost’ and Civic Agency in Late Imperial and Soviet Russia: Interface between State and Society, Palgrave Macmillan, Basingstoke, 2015, pp. 61-81
  • From the Meiji Emperor's Funeral to the Taisho Emperor's Coronation: Reporting the Japanese Imperial System in the Russian Press, in Kimitaka Matsuzato, ed., Russia and Its Northeast Asian Neighbors China, Japan, and Korea, 1858-1945, Lanham, Lexington Books, 2016, pp. 137-150
  • The Homeland’s Bountiful Nature Heals Wounded Soldiers: Nation Building and Russian Health Resorts during the First World War, in Adele Lindenmeyr et al., eds., Russia’s Home Front in War and Revolution, 1914-1922. Book 2. The Experience of War and Revolution, Bloomington, Slavica, 2016, pp. 201-220
  • 「第一次世界大戦とロシア・リベラルのヨーロッパ認識:カデットを中心にして」『ロシア史研究』97号、2016年、27-42頁
  • 「第二二回国際歴史学会議 済南大会に参加して」『思想』1,102号、2016年2月、104-112頁
  • (共訳)K.O.サルキソフ「ロシアと日本のアイデンティティに関する比較分析」『京都産業大学世界問題研究所紀要』31号、2016年3月、83-103頁
  • (共著)「ロシア革命百周年記念討論会」『ロシア史研究』99号、2017年、26-61頁
  • 「和田春樹のロシア革命史研究をめぐって:複合革命と「世界戦争の時代」」『初期社会主義研究』27号、2017年、76-86頁
  • 「ロシア革命は兵士を市民にしたのか」『早稲田大学高等研究所紀要』9号、2017年3月、105-109頁
  • 「世界史の中のロシア革命」『歴史地理教育』871号、2017年11月、4-9頁
  • 「ロシア革命からソ連へ:実現したユートピアの歴史」『思想』1,123号、2017年11月、129-135頁
  • 「ロシア革命研究の最先端:各国の歴史家はどう見ているのか」『ユーラシア研究』57号、2018年2月、3-8頁

ほか多数