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専修大学経済学部 教授
実施日:2014年6月23日
ゲスト:永島 剛 先生
機 関:専修大学
協 力:紀伊國屋書店
トピック:
The Times Digital Archive
Illustrated London News Historical Archive
Punch Historical Archive
Daily Mail Historical Archive
The Sunday Times Historical Archive
お忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
こちらこそ。
Galeはこれまで、タイムズ、バーニー・コレクション(ブリティッシュ・ライブラリー所蔵の17世紀・18世紀新聞コレクション)、イラストレイテッド・ロンドン・ニュース、サンデータイムズなどイギリスの新聞を創刊号からデジタル化し、データベースとして提供してきました。少しずつ増やしてきた結果、新聞データベースの数は今では約20に達しています。また、最近ではデイリー・メールのような大衆紙にまでラインアップを広げています。今日は、タイムズやイラストレイテッド・ロンドン・ニュースやパンチについて質問させていただき、できればイギリスの新聞全般についてもお尋ねしたいと考えています。永島先生は、これまでの研究の中で、イギリスの歴史的な新聞をどのように使ってきましたか。
私の研究対象は19世紀から20世紀にかけてのイギリスの公衆衛生、保健政策です。博士論文を書く時に、ナショナルなレベルではなくローカルなレベルでの保健政策を調べる中で、地方紙を使いました。これまでの研究の中でもっとも新聞を使ったのはその時です。博士論文では19世紀末から20世紀初頭にかけてのブライトンの衛生改革を取り上げました。衛生改革の主体であるタウン・カウンシルでの議論を調べる際に、ブライトン・ヘラルドやブライトン・ガーディアンといった幾つかの地方紙を使いました。
どこでその新聞をお使いになったのですか。
一つはローカル・レコード・オフィス(Local Record Office)です。ここに所蔵されている新聞の原紙を使いました。もう一つはブライトンの中央図書館が所蔵するマイクロフィルムです。中央図書館では、地元の人がマイクロフィルムを利用する場合、1回につき1時間しかマイクロリーダーを使うことができないという時間制限がありました。限られた時間の中で効率よく記事を探さなければなりませんでした。だから、ローカル・レコード・オフィスで時間をかけて面白そうな記事を調べて、中央図書館の方で急いで複写する、それを繰り返していました。
ローカル・レコード・オフィスの原紙で記事を調べ、中央図書館でその記事が掲載されているリール番号を調べて複写するということですね。
そうです。最近はブライトンの中央図書館に行っていないのですが、もしかしたら大分状況は変わっているかもしれませんね。
記事を比較できるのが、複数の新聞データベースを揃えることの一番のメリット
Galeはタイムズ、サンデータイムズ、イラストレイテッド・ロンドン・ニュース、パンチなど、イギリスの多くの新聞をデータベース化し、昨年(2013年)は大衆紙のデイリー・メールのデータベースをリリースしました。これらの新聞データベースの中で先生が最も関心をお持ちなのはどのデータベースですか。
どれにも興味があります。どの新聞データベースにも同等に関心を寄せています。やはり、特定の出来事についての記事を比較してみたいですね。タイムズは最も伝統のある新聞ですから、研究者としてはまずタイムズから調べてみるという流れになると思いますが、同時に他の新聞でどのように報道されているか、比較しながら調べるのが、複数の新聞データベースを揃えることの一番のメリットではないかと思います。
研究者がまずタイムズから調べようとする理由
今、研究者であれば最初はタイムズから調べると、おっしゃいましたが、やはり研究者であればタイムズが最初の入口になるのでしょうか。これほど研究者のあいだでタイムズが必要不可欠の資料だと考えられている理由はどこにあるのでしょうか。伝統という側面が大きいのでしょうか。
第一に伝統というのはあると思います。ただしそれは、伝統があるから他紙より優れているという意味ではかならずしもありません。たとえば地方のことを調べるには、地元の新聞を見なければわからないことがあります。でもナショナル・レベルでは、現存する新聞の中で一番古いのがタイムズです。創刊は18世紀末、1785年ですから、カバーしている時代の長さを考えると、18世紀末からの経緯を考慮しつつ19世紀を研究している人であれば、まずはタイムズから調べるということになるでしょう。それから、イギリスの政治史や社会史の中でタイムズが大きな役割を果たしたという側面も指摘できます。保守党と自由党という2大政党が政治を支配していた19世紀にあって、政治的な言説の一つの典型がタイムズに現われていたと思います。
タイムズの資料的価値はイギリス研究者向けに限ったものではありません
他の新聞と比較してタイムズには外国の記事が多いように、私自身は感じています。特に19世紀後半、イギリス領植民地が増えると、植民地や外国に関する記事が増えたように思います。他の新聞と比較した場合のタイムズの特徴としてどんなことが挙げられますか。
タイムズは大英帝国を代表する新聞なので、海外に関する記事が多いということでしょう。ですから、タイムズの資料的価値がけっしてイギリス研究者向けに限ったものではないことは、強調されてもいいと思います。日本の新聞の国際面は1ページか2ページぐらいですが、タイムズは今でも昔の伝統を引き継いで、国際記事に多くのページを割いているようです。良くも悪くも、19世紀後半以降の世界におけるイギリスのプレゼンスやそれにたいする自意識を反映しているのだと思います。特にイギリスのエスタブリッシュメントを代弁するのがタイムズですから、海外記事に強いのが一つの特徴と言えます。クリミア戦争のとき、参戦を支持する世論形成に影響を与え、参戦後は従軍記者(ウィリアム・ハワード・ラッセル, William Howard Russell)の記事がイギリス国民に前線の状況を明らかにし、さらにナイチンゲールを動かしたことは、19世紀の政治と社会におけるタイムズのポジションを象徴しています。
1880年1月26日付タイムズ外報欄
1906年1月24日付タイムズ外報欄(この頃は外報欄の名前が、植民地関係の記事の増大を受け、”Colonial and Foreign Intelligence” となる。)
クリミアの前線でのイギリス軍兵士の惨状をスクープしたタイムズ紙記者、ウィリアム・ラッセルの記事(1854年10月12日)
ナイチンゲールが看護団を組織し、スクタリに派遣されることが決定されたことを伝えるタイムズの記事(1854年10月19日)
タイムズと衛生改革
タイムズの記事の中で、特に印象に残っている記事を一つ挙げてください。
19世紀半ばの公衆衛生改革についての記事です。当時コレラが流行していて、エドウィン・チャドウィック(Edwin Chadwick)が衛生改革を推進する中で、タイムズが「健康を強制されるぐらいなら、コレラになる方がましだ」と言っています。タイムズは、チャドウィックらが主導する衛生改革の集権的な側面に反対の立場を取っていました。大きな政府を警戒するというのが当時の時代の風潮だったのです。下水道も税金がかかるため反対されます。下水道を家庭に引く場合、家庭に介入することになりますが、家庭への国家の介入も反対されます。タイムズはこのような時代の風潮を代弁していたのです。
1854年8月1日の社説
そうなると、現在のタイムズは政府寄りの新聞ですが、19世紀は政府に対して批判的だったということになりますね。衛生改革と同じ頃に穀物法が廃止されましたが、タイムズは穀物法反対の論陣を張っていたようです。現在のタイムズと19世紀のタイムズでは、政府に対するポジションが異なっていたのではないかと、今の先生のお話を聞いて感じました。
レッセ・フェール(自由放任主義)的な傾向が強かったのかも知れません。自由貿易を志向し、社会政策面では官僚主義的な政府の介入に反対するという考えです。
学生用教材としてのイラストレイテッド・ロンドン・ニュースやパンチ
タイムズから離れて、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースとパンチのデータベースに移ります。イラストレイテッド・ロンドン・ニュースはデータベース化されて5年以上経過していますが、パンチのデータベースは、リリースされたばかりです。両者は挿絵中心のヴィクトリア朝定期刊行物の双璧といってよいと思いますが、これまでどのようにお使いになりましたか。
主として学生向けの授業の中で使ってきました。パンチについては『「パンチ」素描集-19世紀のロンドン』(岩波文庫)など、印象的な挿絵を集めた本が幾つか刊行されているので、それらを使って学生に紹介することが多いです。イラストレイテッド・ロンドン・ニュースをデータベースで使えるようになれば、学生に紹介する機会も増えるのではないかと期待しています。
『「パンチ」素描集-19世紀のロンドン』(岩波文庫)
「19世紀の衛生改革とパンチ」
先生のご専門の公衆衛生に関して、特にパンチの方に関連の挿絵が掲載されていたように思いますが、特に印象に残っている挿絵はありますか。
”Father Thames Introducing His Offspring to the Fair City of London”(テムズ川の主が子どもたちを連れてロンドンの女神に会いにゆく)という絵です。子どもたちには、コレラとかジフテリアとか病気の名前が付いています(笑)。それから、 “The silent highwayman – Your money or your life”。テムズ川に浮かぶ船に死神のような追いはぎが乗っていて、命を選ぶか金を選ぶか、問いかけています。衛生改革を推進するお金を渋るのか、さもなければ死んでしまうぞというように、衛生改革がなかなか進まない状況を諷刺しているのです。パンチもタイムズと同様に、チャドウィックらの改革手法については強権的であるとして批判的だったのですが、衛生改革自体は必要であるとの立場をとっていたわけです。
「テムズ川の主が子どもたちを連れてロンドンの女神に会いにゆく」(1858年7月3日)
「無言の追いはぎ:金を選ぶか、命を選ぶか」(1858年7月10日)
「衛生改革の潮目が変わるきっかけになったグレート・スティンク(大悪臭)事件」
当時のテムズ川は汚染が酷かったようですね。『「パンチ」素描集』にも載っていたと思いますが、ギリシア神話のナルシスがテムズ川に顔を映す絵がありますが、テムズ川の汚染関連の絵も多いですね。国会議事堂がテムズ川の近くにあり、テムズ川の悪臭が漂ってきて、国会審議どころではなかったという話もあったようです。
1858年のグレート・スティンク(Great Stink, 大悪臭)事件ですね。国会議事堂がテムズ川沿いにあったため、とても審議をやっていられないということで、反対の多かった衛生改革の潮目が変わったきっかけの一つになったと言われています。そういう紆余曲折が見えてくるのが当時の新聞を読む面白さです。中でもパンチは印象的な挿絵が多いので、授業では多用しています。
「都市のナルキッソス、または、自らの醜い外見に魅惑される市参事会員」(1849年12月8日)
パンチにはイギリス独特の笑いやユーモアのセンスがあると思います。パンチを使うことで、狭い意味での文学や歴史から離れて、イギリスの笑いの文化について授業を行なうこともできると思いますが、どうお考えですか。
そうだと思います。ユーモア、諷刺の感覚ですね。
イギリス文化論という授業があれば、パンチを題材にしてイギリス文化の根底にある笑いを伝えることもできるのではないかと思います。
文学やカルチュラル・ヒストリー研究の世界ではすでにそういう方向で分析をしているようです。パンチがデータベースになって利用する人が増えれば、ますますその傾向は進むでしょう。
デイリー・メールは高級紙と大衆紙の中間
少し視点を変えて、イギリスの新聞にある高級紙と大衆紙というカテゴリーについてお尋ねします。タイムズは高級紙です。デイリー・メールは大衆紙です。高級紙と大衆紙の相違を学生に伝えるとしたら、どのように説明しますか。
大衆紙をイメージしてもらうとしたら、日本のスポーツ紙や電車の中でよく読まれているようなタブロイド版の日刊紙を例にすると良いかもしれません。
高級紙と大衆紙はそこまで違うのですか。
デイリー・メールはこの分類で言えば、かならずしも大衆紙ではないと思います。私のイメージでは、大衆紙といってまず想起されるのは、サンです。それからデイリー・ミラー、ニューズ・オブ・ザ・ワールド(2011年廃刊)。これらの大衆紙と高級紙の中間にデイリー・メールがあります。デイリー・メールは大衆そのものというより、それより少し上の層を読者層としているのではないでしょうか。タブロイド紙の中ではデイリー・メールはやや高級感があるというのが私の印象です。デイリー・メールが創刊された19世紀末においては、ローワー・ミドルクラス(下層中流階級)あたりを読者層としていたと思います。
以前インタビューした慶應義塾大学の佐藤先生や津田塾大学の菅先生がデイリー・メールの読者層としてのミドル・ブラウに言及していましたが、おそらくその辺りのことをおっしゃっていたのだと思います。
経済的な階級というより、文化的な側面に注目してミドル・ブラウといった方が的確かも知れませんね。
そうなると、高級紙と大衆紙という二分法は修正が必要かも知れません。
そうですね。ただし、デイリー・メールが創刊された頃にはその二分法が妥当する可能性があるとも言えます。いずれにしても、現代の観点から高級紙と大衆紙の相違を学生に説明する時には、便宜的に日本の一般紙とスポーツ紙やタブロイド紙の相違を例に挙げています。
デイリー・メールのデータベース化により、当時の家事や育児に関する新聞記事の研究が進むことが期待されます
デイリー・メールは女性向けの記事やコラムを掲載し、現在に至るまで女性の読者が多いという特徴があるようです。
学校教育の普及とともに、女性向けの雑誌や新聞のマーケットも展開しつつあったことを反映しているのでしょう。それから、公衆衛生が国家の政策としてだけでなく、家事や育児など社会の話題としても浮上してくるのが19世紀末から20世紀初頭です。その種の話題を伝える媒体として機能していたのかも知れません。女性向けの雑誌を専門的に研究している人によれば、家事や育児の話題が雑誌の中で取り上げられるようになるのが19世紀末から20世紀初頭にかけての時代です。まだデイリー・メールを網羅的に調べて研究している人は少ないでしょうから、これでデータベースが使えるようになれば、当時の家事や育児に関する新聞記事の研究が進むと思います。
デイリー・メールが主要な読者層としていたのは、ローワー・ミドルクラス(下層中流階級)
デイリー・メールのデータベースは、日本では今のところ導入ゼロです。研究者が大衆紙より高級紙に眼が行きやすいのは、これまで社会のエリート階層の言動が研究されてきたのに対して、エリート階層ではない人々の言動が研究されるようになったのは最近であり、まだ歴史が浅いからだというのが、私自身の理解ですが、このような理解は正しいでしょうか。
「最近」をどれくらいのスパンで取るか。
この50年くらいです。
そうですね。それはよく言われていて、コモン・ピープルの歴史という言い方をします。コモン・ピープルに焦点を当てて歴史を書くという社会史が明確な研究潮流になるのが1960年代です。ただし、下層の人々に焦点を当てる場合でも、労働運動のような進歩的な部分に注目しようとする場合、必ずしもデイリー・メールが必要であるとは考えられていなっかたかもしれません。
それは菅先生もおっしゃっていました。デイリー・メールの読者層は女性参政権運動にコミットしていた階層とは重ならないとおっしゃっていました。
むしろデイリー・メールは、エリートが推進する帝国主義に加担している面もあったと思います。戦争に対しても積極的な論調のときがあったのではないでしょうか。エリート対民衆の二分法では歴史は捉えきれないということにもなるかもしれません。
第一次世界大戦を扇動したというのは歴史的事実のようですね。
やはりね。デイリー・メールのそのような主張がどのような層の人びとに受けたのかは興味深いところですね。ただし、皆が皆そうだったわけではないと思いますが、私のイメージだと、ローワー・ミドルという言葉がデイリー・メールにははまるような気がします。日本で言えば新中間層に近いかもしれません。旧来の資本家的なミドルクラスとは区別される新興の階層で、典型的には小さな商店主であるとか、それからホワイトカラーの給与所得者、日本風にいえばサラリーマン世帯です。これが、デイリー・メールが主要な読者層としてターゲットにしていた部分ではないでしょうか。
「ドイツは大英帝国の破壊を準備している」とドイツの脅威を扇動する記事を第一次大戦が勃発する5年前に掲載(1909年12月13日)
データベース化によりテキストに眼が行きすぎて、コンテキストが軽視される恐れがあります
サラリーマン層世帯の新聞としてのデイリー・メールですか。デイリー・メールが俄然身近になってきたように思われます。それでは、個々の新聞データベースから離れて、データベース一般についての質問に移りたいと思います。歴史新聞や雑誌がフルテキストデータベース化されることが歴史研究に対して与える影響についてです。たとえばアメリカでは、地方紙の大量デジタル化により、特定の地域内での報道の微妙な相違が明らかになり、また使われている言葉のレベルの分析が進んでいるようです。歴史研究から離れると、OEDの改訂にGaleの18世紀データベース(Eighteenth Century Collections Online)が欠かせなくなっているとも聞いています。これらの事情から言えるのは、多くの歴史資料をあたかもデータの塊として分析するようになってきているのではないかと思います。この辺り、新しい歴史研究の動きのようなものはあるのでしょうか。
そういう方向で研究する人が増えているのは確かです。検索機能が使えるというのが最大のメリットです。テキスト分析の重要な基盤をデータベースは提供しています。ただし、敢えてデメリットを指摘するとすれば、テキストに眼が行きすぎてコンテキストが軽視される恐れがあるということです。一つの単語を見つけるのに、検索して瞬時に結果が得られるのと、いろいろな記事を読んで文脈をたどりながら調べてゆくのとでは、大分意味合いが違います。
イギリスでは、歴史資料と資料へのアクセスが公共財であるとの認識が強い
先生はイギリスの大学で博士号を取得されました。イギリスの研究事情にも詳しいと思います。データベースの利用状況とそれが研究に与える影響に関して、日英の違いを痛感したことがありますか。
それは今までは、個人的にはそれほどでもありませんでした。私がイギリスに留学した頃はまだデータベースが普及する以前でしたから。ただ、歴史資料、あるいは歴史資料へのアクセスのシステムが、社会の重要な公共財ないしインフラであるという認識は、イギリスのほうが強いような気はしていました。正直なところ、私自身まだデータベースを縦横に活用する研究スタイルに充分には追いつけていないというのが実情ですが、日本の大学や図書館ではまだ導入に慎重なところも多く、自分が希望するデータベースが利用できないときは不満に思うことはあります。近年学術資料のデータベース化は急速に進んでいますから、あれもこれも一挙に入れるわけにはいかず、まぁ無理からぬ面もあるのですが。でも、世界的に普及しつつあるデータベースが利用できないことで日本における研究活動が遅れをとったり、学生や一般の方々の知る意欲の後退を招くようなことはあってはならない、というような思いを、最近では強めつつあります。データベースは、研究者がいる場所が持つ意味を小さくしてしまう力を潜在的に持っています。データベースが登場する以前は、たとえばイギリス史を研究するならイギリスに滞在してそこの一次資料を使うことに意義がありましたが、データベースの登場でそうした観念はこれから変わってくるのかもしれません。実際に現地に赴き調査することの重要性が減るとは思いませんが、それがいつもかなうわけではないですし、どこにいてもデータベースが利用できるようになることのメリットは大きいと思います。
異なる新聞の主張の相違を探る面白さを学生に伝えたい
学生や大学院生のための教育資料として考えた場合、歴史資料はどのような価値があるとお考えですか。
まず、新聞の英語を読みたいという学生がいれば、そのニーズに応えることができます。さらに一歩進んで、同じ出来事についてタイムズ、ガーディアン、デイリー・メールなどの主張の相違にまで踏み込んで考えることができれば、すごく面白いし、異なる新聞の間の主張の相違を探るのが、新聞の一番面白いところだということを学生に伝えたいと思っています。最近は、サッカーを通じてイギリスに興味をもつ学生も増えてきましたから、スポーツ面から入ることも一案です。
細かい記事の相違もそうですが、そこまで踏み込まなくても、トップ記事のヘッドラインで使われている言葉の相違や使われている写真の相違を比べるだけでも、学生にとっては面白いし、勉強になると思います。昨年サッチャーが亡くなった時のイギリス各紙の一面記事がまさにそうで、イギリスを偉大にした人という肯定的なヘッドラインもあれば、イギリスの分断を招いた人という否定的なヘッドラインもあり、中にはサッチャーの死を喜んでいるようなヘッドラインを掲げている新聞もありました。
サッチャリズムに対する評価は高級紙の中でも異なります。ガーディアンは労働党に近いので、サッチャーに対してはどちらかといえば批判的、タイムズやデイリー・テレグラフは肯定的です。そういう違いは確かにヘッドラインを見ればわかりますね。
英語という観点では、学生にとってはデイリー・メールの方がアクセスしやすい
タイムズとデイリー・メールの記事を比較すると、デイリー・メールは写真が多く掲載されているのに対して、タイムズは文字の多さに圧倒されてしまいます。学生も、タイムズの文字の多さに圧倒されるのではないかと思います。
そうですね。タイムズのような高級紙とデイリー・メールでは記事の質量は異なります。デイリー・メールの方が読みやすいです。英語という観点で言えば、学生にとってはデイリー・メールの方がアクセスしやすいと思います。
先ほど、デイリー・メールがもともとローワー・ミドルクラス向けの新聞とのお話がありました。朝日新聞や日経新聞などの日本の新聞に対しては、日本人はある程度のイメージを持てますが、タイムズ、デイリー・メール、サン、あるいは高級紙や大衆紙についてイギリス人が持っているイメージをつかむのは難しいことです。でも、それを学生が感覚的にイメージできるように伝えることがイギリス文化論ではないかと思います。
イギリスに興味をもつ学生、さらには留学したいと考える学生は一定数います。そういう学生に対して、新聞を読んでみるように奨めることですね。
大衆紙を読めば、イギリス社会の良い面も悪い面も見えてきます
イギリスに留学する学生に、どれか一つ新聞を選ばせるとすれば、どの新聞をあげますか。
サンなどの大衆紙ですね。英語が簡単だし(笑)。イギリス社会の、良くも悪くもいろいろな部分が見えてくるような気がします。そして、それを他の新聞と比較してみることも奨めます。日本と違いイギリスは宅配が少ないため、多くの場合駅の売店や街角のニュースエージェントで新聞を買います。必ずしも同じ新聞を毎朝継続的に購読するのではなく、読む新聞を気軽に変えることができます。今は高級紙もいくぶん大衆紙化の傾向があり、カバーするトピックについては高級紙と大衆紙のあいだにかつてほど歴然とした相違はないかもしれません。高級紙と大衆紙、あるいはデイリー・メールのような中間紙のあいだを行ったり来たりして読んでいる読者も多いと思います。
イギリスにはサンデー・タイムズのような日曜新聞だけを読んでいる読者がいるとの話を聞いたことがあります。サンデー・タイムズはタイムズと同じ経営の下にありながら、編集はタイムズから独立しているようですが、サンデー・タイムズについてはどうお考えですか。
現在の日曜紙についていえば、付録を含めてかなり大部なものを売店から朝買ってきて、それを楽しみに休日にじっくり読む人がいるというイメージです。時事的な短い記事だけでなく、論説や文化面なども充実していると思います。編集の独立性ということにかんしては、100年前にかんしてのことなのですが、研究の史料としてサンデー・タイムズを見ていたときに感じたことがあります。以前サンデー・タイムズのデータベースをトライアルで使った時、乳児保健に関する政府の報告書についてのサンデー・タイムズの論説(1910年)を見つけました。タイムズがその報告書の主張する積極的な乳児保健政策を肯定的に捉えていることに対して、サンデータイムズのその論説は、そんなタイムズを名指しで批判していました。チャドウィックの衛生改革の頃は国家に健康を強制されることを批判していたタイムズが、50年後に今度は国家の保健政策の擁護者としてサンデー・タイムズから批判されているところは面白いですね。その半世紀の間に何があったのだろう、データベースを使ってさらに調べてみたい、となるわけです。
乳児保健に関する政府の報告書についてのサンデー・タイムズの論説(1910年7月31日)
今日は幅広くイギリスの新聞について語っていただきました。お蔭様でイギリスの新聞についてイメージが膨らんだような気がします。ありがとうございました。
※このインタビューを行なうに際して、紀伊國屋書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。
ゲストのプロフィール
永島剛先生 (ながしま・たけし)
最終学歴:
サセックス大学人文研究センター博士課程修了
主な研究業績:
現在(2021年)専修大学経済学部教授