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上智大学文学部英文学科 准教授
実施日:2016年3月15日
機 関:上智大学
協 力:丸善雄松堂株式会社
トピック:
Gale Literature
本題に入る前に、これまでどのようなことを研究されてきたのか、簡単にご紹介いただけますか。
シェイクスピアを中心に、ルネサンスの図像解釈学(イコノロジー)や思想史を研究しています。
Contemporary Authors などのGaleの文学シリーズを西先生はこれまでどのようにお使いになってきたのでしょうか。
学部生のときに、授業で先生から紹介され、使うようになったのが始まりです。1990年代ですから、ウィキペディアもない時代です。作家の伝記や作品批評の基本情報を入手するための手掛かりとして使っていました。イギリスに留学していた時にも、図書館の司書の方がGaleの文学シリーズを勧めて下さったので、留学中も図書館で使っていました。
学部生の頃に勧められたシリーズはどのシリーズですか。
Shakespearean Criticism と Dictionary of Literary Biography (DLB) です。
学生時代は、”Further Reading”を通して基本文献についての知識を得ていました
伝記的情報を調べるためにお使いになっていたのですか。
それもありますが、文献情報を調べるためのツールです。英文学の基本文献にはどのようなものがあるのか、当時の私はよく分からなかったものですから、記事の末尾にある ”Further Reading” に掲載されているお勧めの参考文献情報を通して、基本文献についての知識を得ていました。おそらく、学部時代の先生がこの文学シリーズを推薦してくださったのも、そのためだったと思います。
英国留学中にも司書の方からGaleの文学シリーズを推薦されたとのことですが、どのような経緯だったのでしょうか。
私が通っていたイギリスの大学院では、研究分野毎に専門の司書がいて、例えば、英文学なら英文学専門の司書がいました。司書がデータベースの使い方や基本図書について学生に教えてくれるのです。そのとき説明された基本文献の中にGaleの文学シリーズがありました。
Galeの文学シリーズを使って論文をお書きになったことはありますか。
Shakespearean Criticismを手がかりにして論文を書いたことはありますが、伝記自体を論文に取り込むということはしてはいません。やはり、参考文献を論文執筆の際の手がかりに使ってきました。
Galeの文学シリーズが文学研究の中でどのくらいの位置付けをもっているのか、どのような使い方がなされているのか、正直なところ分かりにくい部分があります。英文学の書誌であれば、The Cambridge Bibliography of the English Literature のような誰でも知っている資料があります。Galeの文学シリーズは英文学の研究者であれば、誰でも知っている資料なのか、その辺りはどうでしょうか。
私は幸いにして学部生の頃に、Galeの文学シリーズを知る機会があったので、これまで使い続けてきました。しかし、きっかけがないと、図書館に膨大なシリーズが並んでいることに気づいていても、素通りしてしまう可能性はあると思います。
文献情報を芋蔓式に得るための出発点になるのがGaleの文学シリーズ
主に ”Further Reading” をお使いになってきたということですが、そこから文献情報を芋蔓式に得るための出発点になるのが、Dictionary of Literary Biography をはじめとする文学シリーズの利用法の一つということですね。
そういうことになります。
Galeの文学シリーズは、実は索引が肝です
文献情報を得られるという利点以外には、どのような利点があると考えられますか。
たとえば『リア王』で論文を書こうとして、Patriarchy(家父長制、父権制)というテーマに焦点を絞ったとしましょう。Shakespearean Criticism の最終巻にある3種類の索引のうちの一つに、『リア王』の主題の一つに Patriarchy という項目があります。この項目に当たると、『リア王』における Patriarchy の問題について、これまでどのような論文が書かれてきたのか、すぐ分かります。他の索引を見ると、『リア王』以外の作品において Patriarchy の問題がどのように扱われてきたのか、シェイクスピアの全作品を横断的に把握することが可能になります。実は、Galeの文学シリーズは索引が肝で、索引を使えば、必要な情報を短時間で効率良く収集することができるという強みがあります。
索引をデータベースの前面に押し出せば、文学の批評タームを知らない学生もデータベースを使いこなすことができるようになるでしょう
索引を駆使してお使いになっているのですね。単に巻毎の索引ではなく、累積版の索引ですので、冊子体でも使い勝手があります。
そうですね。このすばらしい索引をデータベースの前面に押し出すと、もっと良いのではないかという気がしています。一般的に、学生は文学研究の重要な批評用語をあまり知りません。ですから、あの索引を使いこなすことは難しいでしょう。索引を前面に出して、このような批評用語があるということを示してあげれば、学生がこのデータベースをもっと使いこなすことができるようになるでしょう。
なるほど、社内でフィードバックしたいと思います。DLBについては、伝記情報という切り口ではお使いになっていないようですが、敢えて伝記情報という切り口から質問させていただきます。DLBは、作家に関するファクト情報や伝記記事を収録しているもので、現在(2016年)370巻ほどまで刊行されています。一般的に作家の伝記と言えば、サマリー的な短い記事もあれば、数10ページに及ぶ長い記事もあれば、さらに長いモノグラフもあります。DLBの特徴はどんなところにあるとお考えですか。
権威あるODNBの記事がDLBの記事を出典として挙げています
例を挙げてみましょう。シェイクスピアとほぼ同時代に、ジョージ・ピール(George Peele)というマイナーな劇作家がいました。現在、英国人に関する人物情報として最も権威ある資料を挙げるとすれば、Oxford Dictionary of National Biography (ODNB) を挙げることに異論のある人は少ないでしょう。ジョージ・ピールをODNBで探してみます。ODNBのピールの記事を見ると、GaleのDLBのピールの記事を出典として挙げているのです。ODNBが出典として挙げているということは、相当信頼性が高いと評価されているのです。このようなことはもっとアピールしても良いのではないかと思います。
同じ作家の複数の伝記から、作家の複数の顔、書き手の視点の相違、研究文献の推移、作家研究の動向の推移など、いろいろなことが見えてきます
なるほど、面白い視点ですね。DLBにはシェイクスピアの2種類の伝記が収録されています。一つは、エリザベス時代の劇作家の伝記を集めた巻(Elizabethan Dramatists)に収録されたものです。もう一つは、16世紀の劇作家以外の作家を集めた巻(Sixteenth-Century British Nondramatic Writers)に収録されたものです。2種類のシェイクスピアの伝記を比べると、前者の方は70ページぐらいの長大な記事であるのに対して、後者の方は短い。同じ作家でも別々の視点から伝記が書かれているのが分かります。ヘミングウェイは3種類の伝記が収録されています。DLBには、複数の角度から作家に光を当てるという特徴もあります。
Andrews, John F. “William Shakespeare (on or about 23 April 1564-23 April 1616).” Elizabethan Dramatists, Dictionary of Literary Biography Vol. 62
Kay, Dennis. “William Shakespeare (circa 23 April 1564-23 April 1616).” Sixteenth-Century British Nondramatic Writers: Fourth Series, Dictionary of Literary Biography Vol. 172
同じ作家でも記事毎に書き手が違う。書き手が違えば視点も違う、さらに重要視している文献も違う。また、記事の執筆年代も違います。執筆年代が違えば、書き手が参考にした文献も違います。同じ作家の複数の伝記から、作家の複数の顔が見えてくるだけでなく、書き手の視点の相違、さらには研究文献の推移、作家研究の動向の推移まで見えてくるという利点もあります。
作品の出版史や上演史などの詳細なファクト情報も見逃せません
ファクト情報も注目したいところです。シェイクスピアの生前に出版された作品や死後に出されたファースト・フォリオから20世紀の全集に至るシェイクスピア著作集など、シェイクスピア作品の出版史、何年何月何日にどの作品がどこで上演されたかという上演史など、作品に関する詳細な事実情報が記録されていることも見逃せません。
シェイクスピアは、テキスト自体の編纂の歴史が非常に長いのですが、18世紀以降の編集者の伝記情報もかなり詳しく載っていて、役立ちます。
伝記と並んでGaleの文学シリーズの柱をなすのが批評です。中世から現代まで、時代別に編集された10種類の批評のシリーズがあります。一般的に、特定の作家を論じたすべての批評を読むことは物理的に不可能ですし、その必要もありません。その際、セレクションが必要になります。Galeの批評シリーズの記事のセレクションについては、どのようにお考えですか。
批評のセレクションをしている学者の名前を前面に出せば、もっと良い
先ほどもお話ししましたが、巻末の索引を使うと、探している記事に容易にたどり着くことができることが最大の利点です。ただ、誰が批評を選別しているのかを前面に出せば、研究者はGaleの文学シリーズをもっと好意的に捉えるのではないかと思います。
Gurr, Andrew. “The Theater in Shakespeare’s Time.”
Elizabethan Dramatists, Dictionary of Literary Biography Vol. 62
Shakespearean Criticism の最初の部分を読むと、「国際的に著名な学者によって批評作品が選別されています」と書かれているだけで、どういう研究者が選別しているのか、名前が挙げられていない。そこをはっきりすれば、もっと学生にも勧めやすくなります。たとえば、先ほど挙げられたDLBのエリザベス時代の劇作家を収録している巻は、そこの Appendix で Andrew Gurr という非常に有名な学者がシェイクスピア時代の劇場について書いています。Andrew Gurr が書いているのなら、このシリーズは素晴らしいに違いないというお墨付きが与えられたようなものです。著名な研究者が執筆している点をアピールするともっとよくなると思います。General Editor として大御所の学者の名前を入れるだけでも、随分印象は変わってくるはずです。
誰が選んだのか、誰が編纂したのかということを前面に出さないのは、文学だけでなく、Galeの著作物一般に関して言えることで、私も以前から感じています。おっしゃる通りだと思います。
村上春樹の記事を Jay Rubin が書いているなど、執筆者のセレクションも良い
記事の執筆者を見ても、村上春樹についての記事は村上作品を多く英訳している Jay Rubin が書いています。Jay Rubin は夏目漱石についても書いています。このようなことをもっとアピールしてもよいと思います。
Rubin, Jay. “Murakami Haruki (12 January 1949-).” Japanese Fiction Writers Since World War II, Dictionary of Literary Biography Vol. 182
Rubin, Jay. “The Evil and the Ordinary in Sōseki’s Fiction.” in Twentieth-Century Literary Criticism. Ed. Kathy D. Darrow. Vol. 271
DLBの伝記記事でも、書くべき人が書いていると言われています。先ほど、伝記情報のスタンダードとしてODNBの名前を挙げられましたが、批評を集めたコレクションとして、Galeのシリーズ以外にどんなものをイメージされますか。
いろいろな国で発表された批評を国際的な規模で集めているという点でGaleの批評シリーズは学生にも勧めやすい
シェイクスピアであれば、批評集は本当に数多くあり、その中の入手しやすいものを使うことが多いです。やはり、いろいろな国で発表された批評作品を国際的な規模で集めているという点で、Galeの批評シリーズは役に立っているので、学生に勧めています。
文学研究では、作品を読まないと話にならないわけですが、作品を読むことのほかに、伝記や批評を読む作業も伴います。ここでGaleの文学シリーズから離れて、一般的に、伝記や批評を読むとはどういうことなのか、ご教示いただけますか。
ここでもシェイクスピアを例にあげてみましょう。シェイクスピアにはハムネットとジューディスという双子の子供がいました。ハムネットは11歳で亡くなりますが、息子のハムネットの死という伝記的事実と『ハムレット』という作品の解釈を結びつける批評があります。作品と作者の生涯における出来事を結びつけるタイプの伝記的批評は19世紀のロマン派の時代に始まります。ロマン派の時代から20世紀初頭にかけて、息子ハムネットの死と『ハムレット』を結びつける批評が現れましたが、その後、その視点は行き過ぎではないかとの反省がなされるようになりました。息子のハムネットが死んだから、ハムレットのような人生を思い悩むような主人公をもつ作品が書かれたのではなかろうかとか、それまで批評家は言ってきたわけですが、そんな単純なものではないと考えるようになったわけです。
確かに、作品と伝記の結びつきがストレート過ぎる印象を受けます。
文学批評とは、作品という織物がどのような糸で織られているかを明らかにする作業です
そもそも、『ハムレット』が書かれたのは1600年から1601年頃にかけてですが、息子のハムネットが亡くなったのはその4年ぐらい前で、亡くなった直後に、シェイクスピアは明るい喜劇を沢山書いています。こうして、伝記的批評の行き過ぎに対する反動として、1940年代から1950年代に、アメリカで新批評(ニュー・クリティシズム)と呼ばれる批評が生まれました。新批評は、作品を作家の伝記や作品が書かれた歴史的文脈から独立させ、作品が作品として自立していて、有機的に存在しているとみなします。要するに、作品の周辺につきまとう文化的事実をいっさい無視し、もっぱら作品のイメージや修辞技法を研究対象に据えるのです。ただ、新批評の方も飽きられて、その反動として1960年代以降になるとさまざまなタイプの批評が現れ、次第に作品が発表された当時の文化、政治、思想、歴史等を作品の中に読み込む批評が増えてきます。一つの文学作品を横糸と縦糸で織られている織物にたとえるとすると、文学批評はその織物を構成している様々な太さの色の糸を解きほぐして、どのようにその織物が織られているかを明らかにする作業です。明らかにする作業にも様々な流派があり、精神分析、フェミニズム、マルクス主義、新歴史主義等があります。
作品を自立的なものと考えるか、それとも作品を伝記的事実や作品が生まれた歴史的文脈との関係の中で考えるか、文学作品の捉え方は時代とともに変遷するということですね。DLBなどのGaleの文学シリーズが生まれてきたことを今のお話に結びつけると、作品と伝記的事実を関連づけようという考え方が背景にあったと言えるのでしょうか。
現代のオーソドックスな批評を行なうための基本的な事実を整理している点にGaleの文学シリーズの価値があります
作家の人生と作品を結びつける伝記的批評が20世紀の前半で終わり、その後の作品と伝記を切り離す新批評を経て、作家の人生ではなく、作家が生きた時代や文化そのものを作品に読み込むという批評が主流になって今に至っています。作家の伝記自体は面白いですが、それ以上に、その作家がどのような社会、歴史、権力構造の中で生きていたのか、ということが重視され、その作家が生み出した文学作品もまた社会や歴史の一部を構成していると考えるようになっています。現代のオーソドックスな批評を行なうための基本的な事実を整理している点にDLBをはじめとするGaleの文学シリーズの価値があるのではないかと思います。
今のお話に関係するかどうか分かりませんが、DLBにはDocumentary Volumeというのがあります。もともとDocumentary Seriesという形で本体から独立していたのが、本体に組み込まれて今に至っています。どういうものかというと、伝記というよりは、作品がどのように社会に受容されたのかとか、作家の周辺にどのような人物がいたのか、テキストだけでなく、肖像画や草稿の写真や初版のタイトルページやダストジャケットなど、図版を多用して編纂されています。ダストジャケットの図版が収録されているのは、読者が作品を受容する上でのイメージ形成に大きく寄与したのではないかとの考え方に立っているようです。
Documentary Volumeは現代の作家に関係するものだけですか。
古い作家にもあります。シェイクスピアのものもあります。
今度、見てみます。
作品の周辺の文化的事実と言えば、先生は『イギリス文化入門』(三修社)という本に寄稿されていますが、そのような文化的事実を授業で取り上げていらっしゃいますか。
作品が発表された当時、このような文化や思想が普及していたから、このような文学作品が生まれたという視点は、文学研究の中で今や必要不可欠です
なるべく取り上げるように努めています。作品が発表された当時、このような文化や思想が普及していたから、このような文学作品が生まれたという視点は、文学研究の中で今や必要不可欠です。ただし、先程も触れましたが、作品が文化や歴史の一部を構成する要素となる視点も学生たちに忘れないようにして欲しいと思っています。
現在の文学研究ではオーソドックスな手法なのですね。
そうです。現在の文学研究において文化研究は非常に重視されています。文学研究をシェイクスピアのようなすぐれた死者との対話であり、コミュニケーションだと考えると、文学研究に意味があることがわかるはずです。現代に生きるわれわれにとっても、質の高いコミュニケーションは、相手の文化や歴史の相互理解の深さによって成立しているはずです。お互いの文化や社会を理解し合うことによって、コミュニケーションが深まるようになるのです。文学作品という相手を理解することによって、現実に生きるわれわれの人生が変容する、文学研究の意義はこのあたりにあるのではないかと思っています。
これまで冊子でお使いになっていたものをデータベースとしてお使いになって、どのような感想をお持ちになりましたか。
電子リソースの利用促進のためには、書籍を見せて書籍のイメージをもってもらう必要があるのではないか
Shakespearean Criticism は、冊子体で現在165巻以上あります。サイズは昭和の電話帳並みの大きさです。昔は、この分厚い冊子体と格闘していましたが、それに比べると、データベースで使える現在は随分楽になりました。ただし、書籍には書籍の良さがあります。私の世代は書籍のイメージを思い浮かべながら電子リソースを使いますが、今の学生はいきなり電子リソースに向かうので、うまく使いこなせずにつまずいてしまう可能性があります。ですから、電子リソースの利用促進のためには、書籍を紹介して、実物を見せてから電子リソースに当たらせる必要があるのではないかと、最近考えるようになりました。
確かに、Galeの文学シリーズのどれでもよいですが、シリーズ全体がどのように構成されているか、その全体像が分かっているかいないかで、電子リソースの利用に大きな差が出てくるような気がします。
図書館ツアーで、書架に並んでいる冊子体を学生に見せると、電子リソースの利用効率が格段に上がります
その通りです。私は、新学期第一回目のゼミの授業で個人的に図書館ツアーを開催しているのですが、Shakespearean Criticism の冊子体が並んでいる書架に連れて行って、どのような情報がデータ化されているかを確認してもらうと、電子リソースの利用効率が格段に上がります。
ところで、Galeの文学シリーズの電子版はすべて現在、Gale Literature というプラットフォームで横断検索することができます。このプラットフォームの詳細検索ページで検索する場合、作品名、記事名、作家名、フルテキストなど検索範囲を様々に指定することができます。たとえば、『ヴェニスの商人』を作品名で検索すると、647件の検索結果が出てきます。検索結果の件数が多い場合、どのように絞り込みをかけますか。
大事なのはキーワードを知っているかどうかで、それを教えるのが教員の役目だと思っています
『ヴェニスの商人』に限らず、作品が翻案(アダプテーション)されることがあります。翻案の英語が “adaptation” であることを知っていれば、その言葉を検索ワードに選ぶことができ、『ヴェニスの商人』がシェイクスピア以降、どのように翻案されてきたのかが、それなりに分かると思います。大事なのは、キーワードを知っているかどうかで、それを教えるのが教員の役目だと思っています。キーワードを知らないと絞り込みができません。
先ほどの索引の話と繋がりますね。
そうです。索引についても先程の図書館ツアーで実際に冊子体を見ながら説明をします。
インターフェースや機能でお気付きの点はありますか。
索引と本文をリンクさせてほしい
索引と本文をリンクさせて欲しいです。たとえば、第1巻の210ページに『ヴェニスの商人』の翻案に関する記事が出てくるという情報が索引に出ているとすれば、その索引の箇所をクリックすれば、第1巻の210ページに飛ぶということです。膨大な作業時間を要するだろうことは予想できますが、それが実現すれば、メリットは飛躍的に高まります。この点は実は、学生から言われ続けてきたことでもありますから、学生の利用を考えると是非、実現させて欲しいです。
なるほど。それは膨大な時間を要するでしょうが。
記事が集められていることだけでも有難いことは事実ですが、便利さに慣れている学生はその先まで要求しているということをご理解いただきたいのです。
作家の伝記や批評を大学の授業でお使いになることはありますか。
上智大学が契約している人物情報データベースは Oxford Dictionary of National Biography、Marquis Who’s Who です。英文学科の学生向けのデータベース講習会を図書館主催で開いていて、学生にも利用を推奨しています。
批評の方はいかがですか。
批評に関しては、データベースではなく、シェイクスピアについて言えば、多くの批評集が冊子体で刊行されているので、それを個別に学生に教えています。
それは、アンソロジー形式のものですか。
そうです。シェイクスピアの場合は、作品ごとに批評のアンソロジーが組まれています。
伝記や批評を使う学生には、どのようなアドバイスを与えていらっしゃいますか。
批評集があまり多くはない現代作家の作品批評を調べるには、Contemporary Authors Onlineが欠かせません
Kazuo Ishiguro
卒論のテーマとして、私の専門外であるアメリカ文学や現代文学を扱う学生の指導を受け持つことがあります。例えば、カズオ・イシグロで卒論を書く学生にはContemporary Authors Online の2015年版の改訂版の記事が有効である、というように教えます。Contemporary Authors Online のカズオ・イシグロの記事に当たれば、New York Times Book Review 等の、どの雑誌のどの記事にカズオ・イシグロの作品の批評が掲載されているかがわかり、インタビューが載っている雑誌や書評誌の情報も入手できて、非常に便利です。批評集があまり多くはない現代作家の作品批評を調べるには、Contemporary Authors Online が強力なツールになると思っています。*
*Contemporary Authors Online は現在、Gale Literature Resource Center に収録されています。
どの資料や電子リソースに当たれば必要な文献情報が得られるかという、文献調査に関する助言を学生に与えているということですね。大学院でも同じですか。
大学院の学生は調査に慣れている面がありますが、指導内容は基本的に学部生と変わりません。難しいのは現代作家の批評を見つけることです。現代作家に関しては、インタビューや書評が役立つと思っています。
Galeの文学シリーズを学生が読むことを想定した場合、収録されている批評の中には、相当難解な批評も収録されていますが、伝記の方はそれほど難解ではないかな、という印象を持っています。
批評を読もうとする場合、今の学生は記事の最初から読もうとするのですが、本文を読む前に、要約を読むように指導しています。Galeの批評シリーズの初期のシリーズでは巻末に要約が掲載されていると思いますが、学生を指導する際は、まず要約を読み、その論文の末尾の参考文献一覧を見て、その論文がどのような傾向のものなのか、見極める作業をするように指導しています。
上智大学様のウェブページの先生の紹介欄に「(教育では)実学と教養の融合を目指す」とあります。具体的に、どのようなことをなさっているのでしょうか。
たとえば、映画を題材にする場合は、文学作品への言及がある映画を授業で取り上げています。英会話だけでなく、背後に隠れている文化や文学的教養も同時に学ぶことができることを目指しているからです。
現在、文学に代表される人文学は、その存在意義を問われていいます。先生も「文学作品を解釈する技法を習得すれば、社会に出ても独自の視点を得ることができる」とおっしゃっています。大学で文学を学ぶ意義についてはどのようにお考えですか。
現代の英語教育をサッカーにたとえると、リフティングやドリブルだけ上手い選手を育てているのと同じ状況が起こっているような気がします。創造性に溢れる試合を展開できる視野の広いサッカー選手を育てるためには、優れた相手と試合し、優れた試合を見ることが肝要です。英語教育も同じで、ちょっとした英会話ができる学生を育てることにそれほど意味がないと私は思っています。他人とは異なる角度から独創的な意見を述べるためには、英会話のような実学だけでは足りません。日本語だけ上手くても社会にあまり貢献できないのと同じです。
なるほど。
文学を分析することは、社会を分析する視点を身につけることに他なりません
創造性を身に付けるには、本当に才能ある人間が書いた優れた文章と格闘し、それを自分のものにする知的訓練が不可欠です。そこに文学の存在意義があります。確かに、シェイクスピアは難しいですが、高校で習った英文法の知識があれば、十分に読むことができます。英文法は最近嫌われていますが、サッカーで言えば正確なパスのような基礎技術です。学生には、基礎技術は重視しつつ、優れた対戦相手(テキスト)との格闘を通して、創造性を身につけて欲しいと願っています。私たちが生きている社会は、一つのテキスト、織物です。社会を見る観点が他人と違うと、他人とは違う意見を提示できます。社会というテキストは決して見かけ通りでありません。見かけの裏に潜む様々な色や太さの糸を解きほぐして、その背後に隠れているものを明らかにすることは知的な作業を伴います。この点によって人文学は社会に貢献することができると思うのです。文学を分析することは、社会を分析する視点を身につけることに他なりません。
文学を解釈するといっても、解釈するための便利なマニュアルがあるわけではなく、シェイクスピアを解釈するとすれば、過去の人々がシェイクスピアを解釈してきた実例を見るしかないわけで、その解釈の実例を集めているのが Galeの文学シリーズということになるのではないかと思います。Galeの文学シリーズは、過去の解釈例を読み、咀嚼することで、自分が文学作品を解きほぐすきっかけを与えてくれるツールということになるでしょうか。
その通りだと思います。
Galeの文学シリーズが研究者にとってどんなメリットを持っているのか、これまで考えていました。作家の数が10万を優に超えるほど膨大であることなのか、伝記的情報が正確であることなのか、収録されている記事のセレクションが良いことなのか、あるいはそれ以外の点なのか、判別しにくい部分がありましたが、先生の今日のお話を聞く限り、一つの主題に関する文献情報を探すツールとして有用であるということに落ち着きそうな感じを受けました。
私自身はそう思っています。ただ、研究者が皆、そうであるというわけではなく、違った使い方をしている方もいると思います。
一つ補足させていただきますと、先ほど名前を挙げましたが、Galeの文学シリーズを搭載するプラットフォームは Gale Literatue です。このプラットフォームには、Dictionary of Literary Biography、Contemporary Authorsの他、Contemporary Literature Criticism をはじめとする10の文学批評シリーズが搭載されていますが、それ以外にGaleのeBooksを閲覧することもできます。GaleのeBooksの中には、1巻ものや2巻ものの批評集もありますので、これらのeBooksを使うことで、DLBなどの文学シリーズを補完することもできます。
貴重な情報をありがとうございます。ぜひ授業や卒論指導で活用させていただきます。
今日は、どうもありがとうございました。
※このインタビューを行なうに際して、丸善雄松堂株式会社様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。
ゲストのプロフィール
西能史(にし・たかし)
最終学歴:
Doctor of Philosophy University of LONDON
略歴:
上智大学文学部英文学科准教授
著著・論文:
ほか多数