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東洋大学文学部 准教授
実施日:2014年10月29日
ゲスト:佐藤 泰人 先生
機 関:東洋大学
協 力:紀伊國屋書店
トピック:
The Listener Historical Archive
今日は、東洋大学様が The Listener Historical Archive を導入されたことを受けて、文学部英米文学科の佐藤泰人先生に、一般にはほとんど知られていない『リスナー』(The Listener)という雑誌についてお話いただき、この雑誌についてのイメージが膨らむ機会になればと思い、インタビューさせていただくことにしました。また、『リスナー』のデータベースを使ってどんなことが調べてみたいか、ということもお尋ねしようと思います。このインタビューは弊社のホームページに掲載されることになりますが、読者は図書館の方々や大学院生、学生さんを想定しています。研究者ではない方々が読んでも面白いと思ってもらえる読み物を提供し、それを糸口にしてデータベースに関心を持っていただくというのが、インタビューの主旨です。その点をお含みおき頂き、できるだけ平易にお話しいただければ幸いです。それでは、先生のこれまでのご研究の歩みというところから始めたいと思います。よろしくお願いします。
北アイルランドに留学し、文学者と公共機関の関わりを眼にしたことが、文学に対する見方を変える転機になりました
よろしくお願いします。私は卒論でディラン・トマス(Dylan Thomas)を取り上げました。ウェールズの詩人です。大学院でもディラン・トマスをやっていて、ディラン・トマスを翻訳された明治大学の羽矢謙一先生の読書会に参加してみたのですが、そこではディラン・トマスではなくアイルランドの現代詩を取り上げていたのです。このときアイルランドの現代詩と出会いました。特に北アイルランドの詩が面白く、大学院を修了後、北アイルランドのベルファスト(Belfast)にあるクイーンズ大学(Queen’s University Belfast)に留学しました。この留学が、私にとっては一番大きな転機になったと思います。どういうことかと言うと、北アイルランドに滞在しながら、詩と社会状況、政治状況が非常に密接に繋がっている世界を経験したのです。日本では、文学と政治は相互に独立し合っている関係にあるとイメージされやすいですが、北アイルランドでは文学も政治も社会もすべて繋がっています。プロテスタント系住民とカトリック系住民の争いに端を発する1960年代からの北アイルランド紛争という共通の負の歴史を経験していることも大きいのですが、詩が詩だけで独立できないという状況が北アイルランドにはあった。この事実に関心を抱きました。それとともに興味深かったのは、BBCの北アイルランド局や北アイルランドの芸術振興機関であるアーツ・カウンシル(Arts Council of Northern Ireland)等の公共機関に北アイルランドのほとんどすべての芸術家が関わっているという事実です。留学中は、ポール・マルドゥーン(Paul Muldoon)とキアラン・カーソン(Ciaran Carson)の二人の詩人を特に研究していたのですが、マルドゥーンはBBCで働き、カーソンはアーツ・カウンシルで働いていました。詩人が文化機関で働き、これらの詩人がハブとなって、芸術家や作家のネットワークが出来上がるという形で、詩と社会が相互に近いところにあった状況を目の当たりにしました。クイーンズ大学の博士論文では、マルドゥーンとカーソンが公共機関とどのような関わりをもっていたかということをテーマに取り上げましたが、北アイルランドに留学し、文学者と公共機関の関わりを実際に眼にしたことが、私が文学に対する見方を変える転機になりました。
BBCの放送番組を初期の時代から記録したリスナーがデータベースとしてアクセスできるようになったことは、研究者にとって大きな意味を持ちます
今日の本題は『リスナー』という雑誌ですが、『リスナー』は一般にはもちろん、研究者の中でも、イギリス文学、文化、歴史の研究者以外にはあまり知られているとは思われません。学生など『リスナー』を知らない人に『リスナー』の特徴を分かりやすく説明するとすれば、どのようにご説明なさいますか。
まず、BBCが発行している雑誌ということです。『リスナー』のよいところは、通常は記録に残らないBBCの放送番組を活字媒体で残していることです。その意味で、研究資料として非常に貴重です。今はBBCも放送番組をデジタル的に保存していますが、デジタル的に保存された番組の数はまだ少なく、アクセスも容易ではない。放送番組を初期の時代から活字媒体で記録した『リスナー』が今回電子化され、データベースとしてアクセスできるようになったことは、研究者にとって大きな意味を持ちます。
『リスナー』には書評も多数掲載されています。書評と言えば、日本では『タイムズ・リテラリー・サプルメント』(Times Literary Supplement, TLS)が非常に有名ですが、TLSと比較すれば、『リスナー』の知名度は大分劣ると思います。『リスナー』の知名度が低いのは、どのあたりに原因があるのでしょうか。
TLSは1902年に『タイムズ』(The Times)の付録として創刊され、1914年に『タイムズ』から独立した発行物になりました。『リスナー』の創刊は1929年です。その歴史の差はあるでしょう。それから、TLSは書物に特化しています。色々な分野の書物に特化した書評誌です。イギリスだけでなく世界中で読まれてきました。『リスナー』はBBCの雑誌です。BBCが世界中にネットワークを持つとはいえ、常に番組を聞いている人は限られています。『リスナー』がBBCの番組を記録するものとして創刊されたのであれば、やはりオーディエンスが限られたのは、ある意味で当然だったと思います。
知名度が低かったということがリスナーの魅力でもあります
なるほど、BBCを視聴できるオーディエンスが限られていたことが、『リスナー』の知名度が低い原因ということですね。
逆に言えば、知名度が低かったということが『リスナー』の魅力でもあります。これまであまり知られてこなかったことやイギリス以外の研究者には伝わらなかった部分を残してくれているということは、研究資料として大きな価値があります。
日本の研究者にとっては、初めて陽の目を見るという言い方もできるのでしょうか。
もちろん、『リスナー』を紙媒体で購読していた図書館もあったでしょうから、初めて陽の目を見るというわけではありませんが、図書館の隅に埋もれ、それこそ「陽の目を見ない」形になっていたのが、データベース化されたことによりアクセスしやすくなったのは、やはり研究者にとっては大きな意味があります。
リスナーは、イギリス文化の一つの柱であるBBCと作家の関わりを調べるのに有益な資料です
イギリス文学、イギリス文化の研究者にとっての『リスナー』の資料的価値はどこにあるのでしょうか。
BBCがイギリス文化の一つの柱になっていて、いろいろな作家がBBCと関わりを持ちます。BBCと作家の関わりを調べるのに有益な資料である、ということをまず指摘できます。それから、『リスナー』は作品発表の場として機能していました。詩人にとって作品発表の媒体であったことがもう一つの大きな特徴です。さらに、『リスナー』の記事から時代の空気を読み取ることができるという点も忘れてはなりません。たとえば、ルイ・マクニース(Louis MacNeice)のインタビュー記事が掲載された号には他にどんな記事が掲載されていたのか、という意味での同時代性を教えてくれる点も研究する上で重要なことです。そのインタビュー記事が後で単行本の中に所収されるとしても、単行本を読んでいるだけでは分からない同時代性を見ることができるというのが、『リスナー』を初めとする文芸雑誌を読む面白さではないでしょうか。
今、『リスナー』の資料的価値を三つあげていただいた中で、BBCと作家の関わりというポイントが出てきましたが、作家と放送メディアの関わりはイギリスでは日本より大きいのでしょうか。
大きいと思います。知的番組やラジオ・ドラマ等の教養系の番組数が非常に多く、そこに作家が表現の場を見出すケースがイギリスでは日本より多いと思います。それから、今は状況が変わっていますが、1940年代、50年代にはBBCサード・プログラム(Third Programme)という芸術系、教養系の番組を集中的に放送し、サード・プログラムでマクニースがプロデューサーをやり、ディラン・トマス等の作家が寄稿するという番組編成がおこなわれていました。
クイーンズ大学に留学中、BBCを視聴されていましたか。
ラジオ番組もテレビ番組も視聴していました。
特に印象に残っている番組はありますか。
そうですね。シェイマス・ヒーニー(Seamus Heaney)が『ベオウルフ(Beowulf)』を現代語訳し、それをラジオで放送したのはよく覚えています。テレビでは、金曜深夜の「ニューズナイト・レヴュー」(Newsnight Review)が楽しみでした。本や芝居、映画や美術展のレヴュー番組なのですが、北アイルランド出身の詩人トム・ポーリン(Tom Paulin)や、フェミニストのジャーメイン・グリアー(Germaine Greer)の辛口批評が刺激的でした。もっとも、金曜夜はパブで飲んでいる事も多かったのですが(笑)。
先生はポール・マルドゥーンやルイ・マクニース等の詩人を研究されています。マルドゥーンやマクニースはどんな詩人だったのでしょうか。BBCやリスナーとの関わりを中心にお話ください。
マクニースはベルファストに生まれ、10才ぐらいのときにイングランドへ移ります。オクスフォード大学でオーデン(W. H. Auden)と出会い、本格的に詩を書きはじめました。卒業後は大学講師をやりながら詩人としての名声を高めていきます。第二次世界大戦の始まった頃、作家エレナ・クラーク (Eleanor Clark) との恋愛もあってアメリカへ渡った時期もありましたが、最終的に戦時下のイギリスに戻り、1941年、BBCに職を得ました。BBCでは比較的自由に仕事をさせてもらったようですが、詩を書くだけでなく、ジャーナリスト的才能も発揮し、番組作りに関わってゆきます。作家としての側面で興味深いのは、ラジオ・ドラマに可能性を見出し、作品を書いたことです。これまで活字の世界でやってきた人がラジオの世界に入って、新しい音声媒体を生かして作品を発表したというところが、マクニースの面白いところです。それから、他の詩人に声をかけ、記事を書いてもらったり、朗読をやってもらったり、という形で、作家サークルのハブの役割を果たしていたことも忘れてはなりません。最期はラジオ・ドラマのロケ地で雨に濡れたのがもとで肺炎を患い亡くなりました。55歳の若さでした。ラジオに殉じたとも言える経歴です。
どんなラジオ・ドラマだったのですか
「ポーロックから来た連中(Persons from Porlock)」というラジオ・ドラマです。コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)が「クブラ・カーン(Kubla Khan)」という詩のヴィジョンを得て、詩を書き始めるのですが、近隣の村ポーロックから男が仕事の用件でコールリッジを訪ねてきたために、詩のヴィジョンが消えてしまった、という有名なエピソードに着想を得たドラマです。洞窟シーンがあって、音響効果を得るために実際の洞窟で録音したのです。マクニースはその洞窟のある荒野で雨に打たれた。仕事と芸術との関係を考えさせられる興味深い作品です。
面白そうですね。マルドゥーンの方はどうですか。
マルドゥーンは、同じく北アイルランドに生まれ、クイーンズ大学で学びます。シェイマス・ヒーニーがそこで英文学を教えていた時です。大学時代にリスナーに詩を発表しています。大学卒業後、BBCの北アイルランド局に入局します。芸術・文学系番組のプロデュースに携わりつつ、マクニースと同様、いろいろな人をBBCに集めるハブになりました。さらに詩作品も発表しています。しかしマクニースのようにラジオという媒体を通じた作品づくりをしていたのではなく、BBCの仕事の合間、ランチタイムのようなニッチな時間も使ってせっせと詩を書きました。BBCを退職後は、アメリカの大学で職を得て、クリエイティブ・ライティングを教え、今に至っています。詩人が職を得る場合、一昔前はBBCが大きな役割を果たしていましたが、ライター・イン・レジデンス(Writer in Residence)として大学で職を得るケースが多くなってきます。
ライター・イン・レジデンスという言い方をするのですか。
そうです。大学や学校に一定期間職を得て創作教育に携わる作家のことをライター・イン・レジデンスと呼びます。大学や学校だけではありません。刑務所でも囚人教育の一環として創作活動が取り入れられています。社会のいろいろな教育の中で、創作が大きな位置を占めていて、創作を指導する役割を作家が担っているのです。イギリスでもアメリカでも大学院のプログラムになるほど、創作(クリエイティブ・ライティング)の制度化が進んでいます。教育で創作が重視されることがない日本との大きな違いと言えるでしょう。
なるほど。
かつて詩人が職を得るのに、BBCが大きな役割を果たしていたわけですが、マルドゥーンがBBCで仕事をしていた時、自分の机の前にディラン・トマスの言葉を貼っていました。「In olden times poets used to run away to sea, now they run away to the BBC(昔、詩人は逃げて海に行った。今は、逃げてBBCに行く)」、と(笑)。
(笑)
作家でありながら、BBCで定年までの雇用でプロデュ―サ―をやるというのは、マルドゥーンの世代が最後です。その後は、短期契約で雇われるような形に変わっているようです。
リスナーが発行されていた時代と 作家や知識人の言論がメディアを通じて影響力を持っていた時代は重なります
『リスナー』の創刊が1929年、廃刊が1991年ですが、『リスナー』が発行されていた時期と今おっしゃった作家が同時に放送メディアのプロデュ―サ―でもあった特異な時代が重なっていたということですね。
そうですね。サッチャーが首相だった1980年代に政権から攻撃を受け、BBCが変質します。マルドゥーン自身もBBCの空気が変わったという言い方をしています。それもBBCを退職した一因だと言っています。芸術や文学のような短期的に成果が現われないようなものをやっていると、肩身の狭い思いをする時代に変わったということです。確かに、『リスナー』が発行されていた時代と、作家や知識人の言論がメディアを通じて影響力を持っていた時代は重なると言えますね。
知識人の言論が輝いていた1940年代、50年代がリスナーを通してよく見えてきます
マルドゥーンやマクニースは『リスナー』に寄稿し、詩を発表していますが、『リスナー』を研究資料として使うことはマルドゥーンやマクニースの研究にとってどのようなメリットがあるとお考えですか。
マクニースはラジオを通して知識人が最も影響力を持っていた時代に活躍した詩人です。『リスナー』を見ることで、知識人の言論が輝いていた1940年代、50年代がよく見えてきて、大いに研究に役に立つと思います。マルドゥーンの方は、実際にデータベースで検索しても、自身がプロデュースした番組がヒットすることがほとんどありませんでした。面白い番組を作っているのですが、マルドゥーンの番組は『リスナー』には掲載されていません。マルドゥーンを調べるのに『リスナー』がどれだけ使えるかについては、よく分からない部分があります。
BBCの地方局である北アイルランド局の番組がリスナーにどの程度反映されているか、調べてみたいと思います
先生の研究テーマはアイルランドの現代詩です。マルドゥーンもマクニースもアイリッシュです。アイルランドは歴史的に、イギリス帝国の中心ではなく周縁に位置していました。タイムズやBBCのような中央のメディアの中でアイルランドはどのように描かれてきたのでしょうか。
難しい質問ですね(笑)。やはり、19世紀後半から20世紀にかけてのアイルランド自治獲得を目指す運動は大きく取り上げられたと言えます。1916年にダブリンでイースター蜂起が起こり、独立への動きに拍車がかかります。独立後は、英米の圧力を受けながらも、第二次世界大戦中は中立を維持します。それから1960年代後半には北アイルランド紛争がメディアの焦点になります。ただし、中央から周辺という見方とは別に押さえておきたいのは、BBCの北アイルランド局の存在です。この局の番組が『リスナー』にどの程度反映されているかは、これから調べてみたいと思っています。北アイルランド局は地元の人を雇用して、ロンドンで製作される番組を流しつつ、独自の番組も製作しました。すでに1924年に始まっています。1922年にBBCが開業していますから、その2年後には北アイルランド局が開設されたということになります。
早いですね。
早いです。北アイルランド局でも作家が番組プロデュースに関わっています。たとえば、サム・ハンナ・ベル(Sam Hanna Bell)です。BBCの声というと、ハイブラウでアッパーミドルな声だったのが、もう少し庶民の声を紹介しようということで、フォークロアの研究者と組んで北アイルランドの田舎の人々の声を拾うようなことをやりました。ロンドンから見ると周辺に位置する北アイルランドの中にもBBCに代表される中心と周辺があったということです。中央のメディアだけでなく、地方局の存在も忘れてはならないと思います。マルドゥーンが勤務していたのもBBC北アイルランド局です。ロンドンのBBCにも誘われたことがあったようですが、北アイルランド局で仕事を続けていました。紛争があって不安定な社会状況でも人を引き付ける何かが北アイルランドにはあったということではないでしょうか。
リスナーは北アイルランドの作家に作品発表の場を提供した数少ないメディアの一つでした
先生は北アイルランドの文学と社会状況についても、様々な機会に発言されています。北アイルランドと言えば、一般には紛争のイメージが付きまといます。『リスナー』から北アイルランドについてどんなことが見えてきそうですか。
『リスナー』が北アイルランドの作家にとって作品発表の場を提供した数少ないメディアの一つだったということは言えると思います。先ほども言いましたが、北アイルランドでは詩と社会や政治が密接に結びついているのですが、その結びつきが『リスナー』の中にどのように反映されているのかということは、データベースを使ってこれから調べてみたいと思います。
テレビが台頭し始めるメディアの過渡期にどのような言論が出てくるのかということが、リスナーを読むもう一つの視点になります
『リスナー』には、BBCの放送番組のテキストのほかに、書評、文芸記事から料理のコラムまで幅広い領域の記事が掲載されていますが、今おっしゃったことの他に『リスナー』のデータベースを使って、これから調べてみたいことはありますか。
さきほど、『リスナー』の刊行時期と知識人の言論が影響力を発揮していた時代が一致していたという話をしましたが、「聴く人」を意味するリスナーというタイトルを掲げて『リスナー』が1929年に創刊され、しばらくしてテレビが登場します。1936年にテレビ放送が始まり、1950年は6%だったテレビ保有率が1965年には90%を超え、ラジオの分が悪くなる。テレビが台頭する中で『リスナー』が雑誌としてどのように生き延びていったのか、それが雑誌の記事の中にどのように反映しているのか、調べてみたいところです。ラジオが出たときにBBCはラジオ・タイムズ(Radio Times)という、今も発行されている雑誌を創刊し、ラジオの番組表を掲載しました。今ラジオの番組表は新聞に掲載されていますが、当時はラジオに読者を奪われることを危惧し、新聞は番組表の掲載を拒みました。だからBBCは番組表を掲載する媒体を作る必要に迫られ、ラジオ・タイムズを創刊したのです。メディアが変遷してゆく過渡期にどのような言論が出てくるのかというのが、『リスナー』を読むもう一つの視点になると思います。
ラジオ・タイムズはそういう経緯で創刊されたのですか。それは非常に興味深い。ラジオの番組表の掲載を拒んだというのは、特定の新聞ですか?
新聞界がすべて拒んだということでしょうね。
『タイムズ』がラジオ欄の掲載をいつから始めたのか、調べてみると面白そうですね。少し『リスナー』から離れて質問させていただきます。弊社では、『リスナー』のほかに、『タイムズ』、『サンデイ・タイムズ』、『タイムズ・リテラリー・サプルメント』、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』、『パンチ』、『デイリー・メール』など、多くの新聞・雑誌のデータベースをご提供しています。そして、これらの新聞・雑誌データベースは Gale Primary Sources というプラットフォームで横断検索することができます。イギリスの新聞や雑誌を横断検索するとすれば、どんなことを調べてみたいですか。
Gale Primary Sources は今、本学でも使えるのですか。
お使いになれます。Listener Historical Archiveのような導入済データベースについては全文検索ができます。
以前に紛争の言説というテーマで研究したことがあります。紛争のメディア言説をポール・マルドゥーンが詩の中に取り入れているのですが、メディアの中で紛争の現場がどのように描かれているのか、幾つかのメディアで比較検討してみました。同じ話題が異なる媒体でどのように異なって描かれるのか調べるような場合に、横断検索は最も威力を発揮するでしょう。それ以外にも、横断検索のできるGale Primary Sourcesはいろいろなことに使えそうで、とても楽しみです。
時代の空気、同時代性に触れられることが、データベースを使う一番の醍醐味です
Listener Historical Archive のように、文芸誌や文学テキストの電子化が進み、文学研究の環境は大きく様変わりしました。先生にとって、この種のデータベースを使う一番の醍醐味はどんな点ですか。
先ほども触れましたが、時代の空気に触れられるということですね。
特定の記事の同じページにどんな記事が掲載されているかということが、データベースを使うことによって即座に把握できるということですか。
同じページだけでなく、同じ号にどんな記事が掲載されているか、という意味での時代の空気、同時代性ですね。
これらのデータベースの導入で文学研究が変わるのかどうか、変わるとすればどのような方向に変わるとお考えですか。
文学史に名前が出てくる有名な人々だけでなく、その人たちが関わってきた知識人サークル、どのような知識人サークルや知のネットワークの中でその作家が活動していたのか、ということがこの種のデータベースを使うことによって、よく見えてくるようになるでしょう。ただし、そうは言っても、よく分からないという部分はどうしても残ります。『リスナー』には多くの情報が載っていますが、そこにあるのはBBCで放映されたものの一部に過ぎないわけです。『リスナー』を使ってどれだけ作家の実態に近づけたのか、逆に不安にもなります。そういう二面性はどうしても付きまといます。でも、データベース登場以前に図書館や海外へ行ってまで調べていた資料が身近になった意味は大きいと思います。
過去の見えにくい作家たちの知的ネットワークを見えやすくしてくれること、これが文学研究者にとってのデータベースの大きな利点です
データベースを利用することで知識人の知のネットワークが見えてくるということは、以前に『リスナー』についてインタビューさせていただいた慶應義塾大学の佐藤元状先生もおっしゃっていました。先生方が期せずして、『リスナー』のデータベースを使うことによって文学者や知識人の知的ネットワークがより明瞭になる、時代の空気がよく見えてくるという同じ論点を指摘されているのは非常に興味深いですね。
それについては、私の場合、北アイルランドでリサーチしたという経験が大きいです。リサーチを積み重ねるなかでマルドゥーンならマルドゥーンに関わった人々が見えてきます。それまで知らなかった人物が実は重要な意味を持っていることが分かってくるわけです。そうやって、どういうネットワークの中でマルドゥーンが動いていたのかが分かってきます。そこが面白いところです。時代を遡ると人と人の関係が見えにくくなります。過去の見えにくい知的ネットワークを見えやすくしてくれる、これが文学研究者にとってのデータベースの大きな利点です。
これだけインターネットで情報を得られる時代になっても、過去の知的ネットワークを調べる場合、『リスナー』のデータベースにアクセスできるかできないかの差は大きいということですね。
大きいですね。
学生が『リスナー』のデータベースを使うとすれば、どのような使い方を勧められますか。
まず、関心のある作家について、どんなキーワードを使ってでもいいから検索して、少しでも時代の空気を感じ取ってみなさい、と言いたいですね。
日本の新聞でも朝日新聞と毎日新聞の違いを学生がどこまで理解しているかどうか、難しいと思います。まして、『リスナー』は英語の雑誌です。英語の雑誌である『リスナー』から学生が時代の空気を読み取るのはとても難しいと思うのですが、いかがでしょうか。
難しいでしょうね。正直なところ、いきなり学生に「リスナーを見なさい」とは言えません(笑)。ただ、授業の中で詩を取り上げる中で、この詩が発表された過程を説明するときに役に立つという面はあるでしょう。『リスナー』を授業の教材として使うということです。実際、他のデータベースを教材として使っている事例はあります。
リスナー、スペクテイター、ニュー・ステーツマンを併せ読むことによって、20世紀の知の状況の見取り図が得られます
すでに教材としてお使いになっているデータベースがあるということですね。
あります。今の話で思い出しましたが、『リスナー』は一時期、『スペクテイター(Spectator)』と『ニュー・ステーツマン(New Statesman)』と並ぶ三大雑誌とみなされていました。
どういう意味での三大雑誌ですか。
知識人が読むべき三大雑誌ということですね。それだけ一時期は、論壇で発言力を持っていたということです。『スペクテイター』は保守派、『ニュー・ステーツマン』は左翼系というように政治的傾向が明確だったのに対して、『リスナー』は政党政治と距離をおいたものでした。もっとも、左翼的な寄稿者が多かった時期もありましたが。この三つの雑誌を併せ読むことによって20世紀の知の状況の見取り図が得られるのではないかと思います。
それはとても面白いですね。
『スペクテイター』と『ニュー・ステーツマン』は有名ですが、『リスナー』はそれほどでもない。でも『リスナー』が『スペクテイター』、『ニュー・ステーツマン』と並び、20世紀の知の一角を占めていたということはもっと強調されてよいと思います。
『タイムズ』であれば『ガーディアン』、『インディペンデント』、『デイリー・テレグラフ』と並ぶ四大高級紙の一つという言い方をします。それに対して、『リスナー』は他のどの雑誌と比較したらよいのか、これまで分かりにくかったのですが、今のお話を伺って、霧が晴れたようです(笑)。
(笑)
機能面で何かお気づきの点はありましたか。
データベースを使うことによって時代の空気に触れることができるという点に関連しますが、ページ送りするときに、紙のページを繰るようにはスムーズに行かないという面があるように感じました。そのため、調べるとするとその記事だけ、そのページだけということになってしまいます。その号全体にどんな記事が載っているかということがもっとスピーティに調べられると、時代の空気がもっと明瞭に掴めるようになると思います。時代の空気が分かるところがこの種のデータベースの長所なので、その部分が改善されると望ましいと思いました。
確かに紙の本を繰るような感じには行かないですが、今おっしゃったことはネットワーク環境にも左右されますし、導入されている他のデータベースと比べて見る必要もあると思います。
わかりました。
今日は、BBCと北アイルランドの詩人の関わりという視点から『リスナー』という雑誌についてお話しいただき、そこから知識人の言論が影響力のあった時代に『リスナー』が発行されていたという事実が見えてきました。また、『リスナー』がデータベース化されたことにより、時代の空気、知識人のネットワークがこれまで以上に明瞭になることが期待されるということが指摘されました。さらに、『リスナー』が『スペクテイター』、『ニュー・ステーツマン』と並んで、20世紀の知識人が読むべき三大雑誌と見なされていたという興味深い事実も明らかになりました。先生のお話により、これまで以上に『リスナー』という雑誌の輪郭がくっきりとしてきたように感じました。今日は、長時間に亘り、ありがとうございました。
※このインタビューを行なうに際して、紀伊國屋書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。
ゲストのプロフィール
佐藤泰人先生 (さとう・やすひと)
学歴:
Queen's University of Belfast, School of English
主な著書:
主な論文:
現在(2021年)東洋大学文学部英米文学科 准教授