エチオピア国内事情関係 米国務省文書集 1945-1963年
エチオピア国内事情関係 米国務省文書集 1945-1963年
Records of the Department of State Relating to Internal Affairs, Ethiopia, 1945-1963
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)の中から、米国国務省のエチオピア内政事情に関する外交文書約30,000ページを収録するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。
第二次大戦終結時、エチオピアは最後の皇帝ハイレ・セラシエ(1892-1975 ; 位1930-1974)の治世下にありました。ハイレ・セラシエは憲法制定、官僚機構や軍隊の近代化、経済改革、奴隷制廃止、アディスアベバ大学創設等の改革を実施したものの、議会政治の基本条件である政党がなく、民意を政治に反映させる手段が存在しないその国制は近代的な立憲君主制と呼べるものではなく、立法、行政、司法の権力を手にした皇帝による権威主義的支配体制でした。一部の特権的階層による支配体制が温存され、国民の多くは困窮の状態に置かれていました。
このような状況の中で1960年、皇帝のブラジル訪問の機会を狙って、皇帝直属の親衛隊がギルマン・ネウェイとメンギスツ・ネウェイ兄弟を指導者としてクーデタを敢行しますが、軍の支持を得られず失敗に終わります。1962年にはエチオピアは隣国エリトリアを併合します。第二次大戦中から戦後にかけて英国の支配下に置かれていたエリトリアは1952年の国連決議により、エチオピアと連邦を形成していました。エチオピアのエリトリア併合は、エチオピアとエリトリアの独立を目指す勢力との間で以後30年間にわたり繰り広げられる武力紛争の起点となります。アフリカで多くの国が独立を達成した直後の1963年にはアフリカ統一機構(Organization of African Unity, OAU)が創設され、アディスアベバに本部が置かれますが、これには汎アフリカ主義を掲げたハイレ・セラシエが大きく貢献しました。
本コレクションは米国国務省の外交文書を通じて第二次大戦後のハイレ・セラシエ皇帝治世下のエチオピアの内政事情を浮き彫りにします。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Internal Affairs, Ethiopia, 1945-1963)
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